水彩画 徒然なるままに

自然の光と影を求めて、水彩画を描き始めました、そして懐かしい思い出もと思いました。しかし、ただの自己満足です、興味のある方はどうぞ

死を見つめる心 5

誰が病であろうが、株で損をしようが、季節は移ろうて花々を咲かします。


家の玄関前、階段と駐車スペースの間に、小さな花壇が有ります。その花壇には、秋から冬そして春はパンジーが咲き、クチナシ、紫陽花、朝顔、そして今はアガパンサスの花が開かんとして居ます。



この順番が狂うことは有りません、どんなセンサーがついて居るのか不思議ですが、今年もこの順番で咲いて居ます。


☆アガパンサスは、アフリカ産だそうです、小さな花が大輪と成ります。紫陽花は色が褪せて来ました。


そんな草花の移ろいを見ながら、そっと我が身に手を置きます。そう、ここに別の生物が成長して居るいるんだと、それも自分が育てたんだと、我が子を想う母親?のように、お腹をさすって居ました。



さて、病院で余命を半年を告げられた岸本氏、その日の夜の光景は前のブログで紹介をしました。それは生命飢餓状態、初めて味わう死への恐怖でした。


一方彼は、宗教学者でも有りました。宗教が、人を少しでも安心させようと、あの世の物語を創作して来たことも良く分かって居ました。だからこそ自分は、死後の世界の存在を頼らないことを決めて行くのです。


私自身は、はっきり言えば、そうしたこと(死後の世界)は信ずることは出来ない。そのような考え方はどうも、私の心にある合理性が納得しない。それがたとえ、身の毛がよだつ程恐ろしいことであるとしても、私の心の中の知性は、そう考える。


岸本氏は、このように知性で癌と向かい合って行きます。合理性のないことは認められないのです。



これを読みながら私は、知性が無くて良かったと真剣に思いました。あの世が有ったら楽しいだろうななどと思ってしまう、これだけ取ってもいかに自分に知性のかけらも無いことが分かります。


そんなに遠くない日に、大事な人達との別れが来ます、今は元気ですので自分にも全然想像出来ないのですが、その時に、意識がある内に、妻には「ありがとう」と言葉で伝えたいと決意して居ます。そして笑顔で逝きたい、必ず魂は天に昇ると信じながら・・・。


岸本氏は、この後、心が押しつぶされそうに成ります、しかしそれからだんだんと立ちあがるのです。その物語は次回とします。



毎朝私は、朝顔、紫陽花、くちなし、そしてアガパンサスに敬意を現しながら会社へ向かって居ます、ありがとう、一緒に頑張ろうなって。




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