水彩画 徒然なるままに

自然の光と影を求めて、水彩画を描き始めました、そして懐かしい思い出もと思いました。しかし、ただの自己満足です、興味のある方はどうぞ

人生に張りをもたらすもの

川の流れを見ながら思いました。


そこは、流れが美しくその先の激流へと繋がるところです。


ああ、そうなんだろうなって、


人生で言うと、この美しく流れるところが最高を享受しているのかなって。


でも、その先には激流が待っている、それを、流れている水は知らない。



私達の人生に張りをもたらすものって何でしょう。


それは人それぞれに違いないのですが、


少なくともこの川のように、流れ去るような出来事ではないと思いました。



流れ去るもの、それは成長する子供で有ったり、出世を諦めた夫で有ったり
、年老いた親で有ったり、様々でしょう。


★妻の田舎の風景です、向こうの山裾にはミカン畑が広がって居ます。それを管理していた義父、戦争軍人で、帰ってきたあとは腑抜けのようになったとか。やっといつの日か、ミカン栽培に目覚めて、当時不可能と言われた無農薬ミカンに挑戦しました。


その苦労の結果、無農薬ミカンは完成し、でも市場に出回ることは有りませんでした、これは良くない意味ではなく、市場に出る前に愛好者に買われてしまったのです。これが義父の人生の張りとなったと私は理解しています。




ここで思い出すのは、またあの「スカーレット」のモデルの言葉です。



人は最悪にして最低になった時に、自己を見つめなおす
ことが出来るものである、そして一生の仕事に出逢う
機会に恵まれるものである、と。


初めの言葉、人は云々のところですが、これはまさに流れていく価値のことと
思います。それに翻弄されて己を見失っていく、それは最悪を招くのだろうと、


彼女はたった一人残った息子さんを白血病で亡くすのですが、
その時までに、その息子さん自身の提案で骨髄バンクの基が
出来るのです。


それが多分、自己を見つめ直すことかと、そして生れた骨髄バンクは
今、生き生きと広がっています。



そして一生の仕事に出逢う・・・、


それが彼女にとっては、信楽釉だった。でも、その出逢いまでの物語は
舌実に尽くしがたいのです。



流れ去らない価値とは何でしょう、でもきっと誰にでもそれぞれ違った
想いとして、流れ去らない価値が潜んでいるのかと思います。


それを見つけたい、でも多分それはもう、誰の心の中にも
外へ飛び出したくてウズウズするマグマとなって解放を待って
いるんだと思います。


それをすることで、少しでも幸せな人達が増えるような何か、
有るんだと思いますよ。それが人生の張りとなると、これは
言うまでもないことかも知れません。