水彩画 徒然なるままに

自然の光と影を求めて、水彩画を描き始めました、そして懐かしい思い出もと思いました。しかし、ただの自己満足です、興味のある方はどうぞ

かけがえの無い普通

今年はあの大震災から9年、未だ48000人の避難者がおられる
現状の中、あちこちで復興の物語が広がって来ています。


その中で異口同音に語られている言葉、それが


かけがえのない普通、です。


何も考えずに日々が過ぎていた、朝太陽が昇りそして沈んで
いく、それを普通のこととして何の感動も覚えなかったあの頃
、でも、それがいかに大切な日々だったか、今は分かるのです
と。


若い頃、将来は何になりたいかと問われた、その時に誰も、
かけがえのない普通と答える人は居ない。


開かれた未来、選べる人生、それはどれもかけがえの無い
普通を示唆するものではない。


★娘の家の前、房総の海岸です(以前に掲載しました)、打ち寄せては返す波は、心癒されます。



私は今、こうやってのんびりとブログを書いて居ます。


書きながら頭の中に浮かぶことはあのリーマンショック
からの出来事です。


当たり前と思っていた日常が、山崩れのように土砂に埋まった
のでした。埋まったのは小さな会社そしてその家族達でした。


それから20数年、いったいどうやって過ぎて来たのか、どう
やって復興して来たのか、未だ道半ばの中で、それこそ走馬灯
のように頭を駆け巡ります。


まさかその物語を思い起こしながら、ブログを書くようになれ
るなんて微塵も考えることは有りませんでした。



将来どうしたいかと、扇のように広がっていた未来、でも人は
選べと言われた時、迷いに迷い、結局何も選べずに年月だけが
過ぎるものです。


私の場合、大震災と比べることは大変失礼なことですが、ある
日日常が奪われた、たった一本の道が目の前にぼーっと見える
だけでした。そこには選ぶ未来は有りませんでした。


その道が、会社再興でした、その道を目指そうと動き始めた時
私は、周りからの嘲笑、笑いのオーラに覆われたことを覚えて
います。


あんたは、馬鹿だと思っていたが、そこまで馬鹿とは思わなかったと。



大震災からの帰還が復興であるならば自分は何だろうと、


それは多分、人々、仲間、そしてお客様の温かさを心底感じた
時間、まさにかけがえの無い時だったと。


もっと言うならば私はやっと、獣から人の入口に立てたと。


そしておまけに神様は、私に病も与えたのでした。お前は、
喉元過ぎれば熱さを忘れる人間だと、クサビを打たれた、そう
感じます。


この、踏んだり蹴ったりが、今は有り難いのです。


何故なら、それが、かけがえの無い普通を強く感じさせてくれる
からです。


かけがえの無い普通、これは噛みしめる普通だと、たまらなく
嬉しいのです。