水彩画 徒然なるままに

自然の光と影を求めて、水彩画を描き始めました、そして懐かしい思い出もと思いました。しかし、ただの自己満足です、興味のある方はどうぞ

恵みの命 人生の不思議な階段

生きるに値しない命は有るのか?


このところ、コロナとは別に、世間を騒がしている
設問です。


障害者は生きるに値しないと、殺し回った被疑者が、
死刑の判決を受けました、それは当然と思った方も
多くいらっしゃるでしょう。


かくいう私もその一人、ここは心に無理をしないで
直感に従う、それしか無いと思って居ます。


だいたい私達は、いつの間にか生を受けたのです、自ら
この世に生れようとした人は居ない(一部スピリチュアル
は除きます)のですね。


ですので、この「生」の大切さも何もかも、上記のように
その人の直感が答えをくれるのかも知れません。



ある日孔子に、弟子が質問をしました。


先生、死とは何でしょうかと。


孔子は答えました。


未だ生を知らずいずくんぞ死をや、と。



この解釈は、深すぎて分かりません、どのようにでも解釈
出来るのでしょうが、私は思いました。


その人にとって、今の生を、どう受け取っているのか、
それにより、答えは千変万化するのだろうと思うのです。



しかし、たった一つ、一線を引かれる世界があるのだろうとは
思います。


それは・・・・、


愛を知ったか、愛を感じたか、誰かを愛おしく抱きしめたか


この、心の世界は、誰も妨げることも出来ず、誰も支配は出来ません。


愛を知ることにより、その人は目の前の、人生の不思議な階段を
駆け上がるのかと感じます。


駆け上がり、その人の目指した山の頂上からの眺めは、
どんな景色なのか、それは分かりませんが、でもそれは、その
人に取って、かけがえの無い素晴らしいものであることは確か
でしょう。


愛を知った者だけが分かる世界がある、だから人生は素晴らしい
と心底感じられる世界があると、感じるのです。



ひるがえって、


生きるに値しない命は有るのか、


では逆に、生きるに値する命は有るのか、と。


しかし、私達の命が「恵みの命」と思えるならば、これらの問いその
ものに意味がない、そう思います。