親友という腐れ縁
彼は小学校の時、隣の6組だった。
その名はひろし、付き合いは無かったが、妙に有名な男だった。中学に入り2年目、彼は私の隣の席に座った。
嫌な奴と一緒になったと思ったら、彼も同じことを思ったらしい、私も誰にも劣らない変人だったのだと思う。その変人同士が、60年近く経った今でも席を同じゅうしている。
高校は別々だった、そして彼は父親の都合で遠くに引っ越して行った、それが千葉県、親父さんが一戸建てを購入したんだ、おめでたいことだったんだ。
千葉の家の庭に親父さんは一本の桜を植えた、太さは数センチ、高さ一メートル半くらいの苗木だったそうた。
その桜がこれだ、太さは80センチくらいだろうか、途中から幹が分かれて見事な枝を張って居る。彼の成長と、この桜の成長は、兄弟のごとくだったろう。
桜は大学から帰って来た彼を暖かく迎えただろう、そしてサラリーマンとなった彼を毎日送り迎えをした、そして結婚、桜は頬を染めながら彼の新婦を迎えたに違いない、少しの嫉妬をしながら。
桜は枝を大きく張り、緑を蓄えて、その子供達に毎日遊び場を提供した、時折、私達家族とのバーベキューも、微笑んで眺めて居たに違いない。
その子供達も一人、一人と、旅立って行った、その度に桜は枝を落としながら涙を流したのだろう。
昨日私は、その幹に手を当て耳を近づけて言葉を交わした、何も聞こえては来なかったが、雨に濡れた花弁が、私の肩に、腕に、頬に、舞い降りて来た。これ以上の相槌はないだろう。
親友と言う腐れ縁、彼のかみさんと、私のかみさんは、何と息の合うことか、変人の妻同士、彼女らも十分に変人なのかも知れない。
ありがとう!!、私は心から桜に60年の想いを伝えた。
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