人は何故 死ぬのが怖いのか
先日の定期健診の結果は良く有りませんでした、ジワジワと来ますね、何かつかみどころの無い感じが・・・・。
そう、余命を告げられて以来、この表題の言葉が離れたことがないのです。
そして、答えは幾通りもあると思いました、しかしどれも適当では有りません、でも、当らずとも遠からじでしょう。
それは・・・・・、
1.ものすごく苦しいのでは無いか
2.痛みが激しく続くのではないか
3.自分が何処かに行ってしまう、消えて無くなるという恐ろしさ
4.もう二度と誰にも逢えなくなる、特に妻、家族との別れ
1.2.は、いわゆる物理的なこと、痛いのは適わないというエゴ心ですね。これは注射が嫌だと言って居るのと同じかなと、この頃は思って居ます。
3.と4.は、同じ世界と思いました。これは精神的なことです。3=4で、言わば自分との別れを嫌がっているということです。
でも、こういう想いって幸せなのかも知れません。自殺する人は、この自分と別れたいと思った結果でしょうから・・・・。
今日は会社の決算会議でした、この数字は正しいか、消費税はどれくらいに成るか、利益は?と、ケンケンガクガクでした。参ったなあもう、もっと簡単に出来ないのかようと頭を抱えながら、ふと思ったのです。
そうか、こんな悩みも、どうしようもない問題も、考えて見れば生きて居るからなんだと、やけに神妙な気持ちとなったのでした。
そして思ったのです。いったい何が怖いのか自分はと、それは・・・・、
もう「思い出を刻むことが出来なくなるからだ」と
日々の問題、課題、もう二度と起きて欲しくない出来事、それを乗り越えようと人生は切り立った山を上り下りするように刻まれて来ました、そして、誰もがその途中でバトンを渡さざるを得ないような時を迎えるのです。
これが、怖さなんだと思ったのです。
痛いのも嫌ですし、自分との別れ、家族との別れも勿論辛いのですが、それをも凌ぐような力で、もう「思い出を云々」の言葉が迫って来たのでした。
だから人生とは、”今” なんですね、今を今、刻んで行くのが人生!!、そうなんですよ。
失礼しました。
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