物語の始まり
私が小さな頃、口癖のように父が言っていた、お前は橋の下で取れたんだと
その度に、私は少しショックを受けていた、本当だろうかと
熊本に「コウノトリのゆりかご」が設置されてこの10日で、丁度10年を迎えたとのことです、赤ちゃんポストとして、賛否両論でした。
もう10年経つんだと、そしてその10年の間に預けられた赤ちゃんは125人に上るとのこと、そして10年前に預けられた赤ちゃんは、10歳を迎えている。
彼は10歳、今は里子となり元気に暮らしてる
彼は言う、これからどうしても自分の子供を預けなければ成らない時は、せめて写真でも一緒に預けて欲しいと。
それがせめてもの、愛された証だからと
物語の始まりが揺らいでいると、自分は親に愛されて居なかったという始まりは「辛い」からと
私がこのブログを始めたきっかけは、自分の人生を「物語る」ことでした。どこにでもあるごく普通の人生、それを物語ることにより、自分との会話が始まります。
いつしかこの自分と別れる時が来ます、そしてこの物語の始まりは常に両親の想いが寄り添うのです。私は橋の下(笑)ですが、今ではそれが愛された証となって居ます。
10歳を迎えるこの少年、将来は子供達と関わるような仕事をしたいと語って居ます。自分は愛されてこの世に誕生したと、自分と同じような定めの子供達と関わり、その子達が、自分は愛されたと思える人生を感じて貰いたい、そう願っているように私には思えました。
人生の途中は、誰もが山坂でしょう、でもその物語の始まりは「受愛」で有りたい、そして終わりに向かい、どれほど「愛したか、愛せたか」で有りたいと思う。
失礼しました。
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