水彩画 徒然なるままに

自然の光と影を求めて、水彩画を描き始めました、そして懐かしい思い出もと思いました。しかし、ただの自己満足です、興味のある方はどうぞ

僕ちゃんはお昼寝

古い話です。
田園調布の絵を描きながら、思いだして居ました。


ここは、お金持の住む街です、この田園調布からそう遠くない所に、八幡小学校がありました、私の母校です。私の時に既に、誉れの歴史80年と歌っていましたので、今は何年でしょう、数え切れません。


この小学校、後で分かったのですが、非常に偏差値が高ったのです、私はそれを一生懸命下げていた一人でしたが・・・。小学校から北は下町、南から西はお金持の街で、その頃はお金持の子弟達は余り私立には行かず、何故かこの八幡小学校に通っていたのです。


鼻くそをほじりながら通う下町のガキ達、ベンツで送迎される山の手のお子様達とくっきり分かれて居ました、しかし教室は一緒、その教室の中ではお金持も貧乏人も平等だったのでした。


有る日先生が、さあ皆さん、来週の金曜日には、皆さんの趣味(自宅で遊んでいるおもちゃ)のものを持ってきて下さいと、提案が有りました。わあ~っと騒ぐ私達、私は密かに「メンコ」を持ってこようと決意をしていました。メンコ、それもホンキンと言った勝負で、取り上げたものです。さぞかし羨むだろうと思ったのでした。


しかし、私はその時初めて、お金持の世界を現実視することになるのでした。○○君、田園調布の大きな家の子、彼が持ってきたそのオモチャを見て、下町のガキどもは仰天しました。今から60年前です、彼が持って来たオモチャは、無線で動くバスでした、最初それが何なのか、私は理解が出来ませんでした。


今は無線なんて当たり前ですが、その頃の無線って、宇宙船よりも高価だった(それは嘘ですが)それくらい庶民には遠い遠い世界の「遊び道具」でした。


私だけではありません、下町のガキどもは、自分が持ってきた宝物を、静かに密かに隠していました。その余りの「何か」の違いに、驚きおののいたのでした。


続く・・・・・、