始まりは物語
何だかそんな気がするこの頃です。
亡くなった、心理学者河合隼雄氏は私達の人生を私達それぞれが「物語る」ことが大事と教えて居ます。
その人の一生は、ストーリーにすることにより、その人自身が新たに気付くことが沢山有るのだと気付きました。
しかし、そこには気づきたくないこと、空白のページ、めくりたくも無いページ、そこからは一歩も進まない行もあるでしょう。
私は、自分の人生であるのに、それが誰でもない自分のことなのに、頑張れない人生を送って来ました。自分を生きずに他人を生きるとでも言うのか、いつも周りの人達の顔色を伺いながら生きて来たと思い返して居ます。
それは始まりから、父母のバトンを受けられなかった物語だったと、父母にすれば、息子にバトンを渡せなかった、渡すタイミングを逃した、又はそれくらい生きるのに大変だったのかも知れません。
病を得て、このブログをスタートさせて思いました。
私の人生の物語を作ろうと、それは誰も読まない物語かも知れませんが、それをいつか娘や息子が覗いた時に、それぞれの始まりのストーリーに気づくのかも知れない。
何を考えているか分からない父親だったが、ほんの少しそうでは無かったんだと気づく、そんなきっかけとなれればと思いました。
人生とは、誰にとっても始まりのある物語、そしてそこに、ゆっくりとページを刻んで行く、あせらずにめくるページ、それは完成の無い挑戦ですが、きっとそれなりの一冊の本が見えてくるのだと思って居ます。
失礼しました。
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