一ケ月検診
今日は検診日でした、一ケ月に一回の、臆病になる日です。最も、臆病になるのはこの日だけでは有りませんが。
相変わらず、三時間待ちの三分診療は変わりません。
待っている間、こんな詩が浮かんで来ました、さだまさしの詩です。
僕らは別々の山を
それぞれの高さ目指して
息もつがずに上っていく 山びと達のようだね
これ確か、道化師のソネットという歌、何故か浮かんで来ました。
先生 ○○さん、調子はいかがですか?、ちょっと数値が上がって居ますね(明るい)
私 はあ(先生を見ながら、あ!!先生眼鏡変えた、でも似合わないなあ)~・・・
先生、数値が下がりませんね、普通はもっと下がりますよね、ホルモン療法が限界にきたのですか?、と私
先生 ○○さん、一人一人違います、数値だって確実なものでは有りません。あまり一喜一憂しないように。
私 そうなのですか
先生 貴方の癌が、どう動いて行くのか、縮んで行くのか、それは貴方だけの固有のものです。それはこれまでの沢山のデータは有りますが、それはただの確率です。それに踊らされないことが大事です。頑張りましょう!!
こんな言葉だったかな、そうだな、そうか!!、さだまさしの詩が浮かんだのは、未来予知だった!!、なんて、思いました。
誰もが人生という山を上る、そして同じように頂上を目指す、それは同じだろう。
でもその山は、それぞれの山と高さに違いない、そしてその上り方もそれぞれ、上がらない人も居るだろう。でも、その人さえも、それぞれの山なんだと、妙に納得をしました。
詩はこのように、続きます。
君のその小さな腕に
支えきれない程の哀しみを
せめて笑顔が救うのなら 僕は道化師(ピエロ)になろう
そうだ、私のことを私以上に心配している妻に、私が出来ること、それをこの詩が教えてくれていると思いました。
失礼しました。
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