水彩画 徒然なるままに

自然の光と影を求めて、水彩画を描き始めました、そして懐かしい思い出もと思いました。しかし、ただの自己満足です、興味のある方はどうぞ

妄想

死ぬと言うことは、どういうことだろう。


この頃、検診前になるとこの妄想に取り付かれる、その検診が明日です。


私は覚悟が出来ているなどと、自分では思っている部分があるのですが、実際には、様々な癌治療のニュースを欠かさず見ているのです。


まあ、そんなものです、全然死にたくはないのです。



でも、少し違うのかなと思うのは、自分は何故生れて来たのかというほのかな疑問が心をよぎる時です。


これって、以前に何処かで死んで、そしてまた生を得たのではないかという素朴な想いです。その時に、人間で有ったかのか、犬で有ったのか、蟻で有ったのか、それは全く分かりません。



良く、前世を覚えているという子供が居ます、ネットを探ると、それは数多の数と成ります。殆どが錯覚としても、そうではないものもあるでしょう。記憶していることが極めて具体的で、名前や状況も合致しているという記憶、それが2歳とか3歳の子供の言葉で現されている。


でも、面白いのは、7歳くらいになると、全て忘れてしまうことです。成る程、覚えていては行けないことだったのかも、などと想像しました。



以前にも書きましたが、脳科学者が最も不思議に思い、少しも解決出来て居ないことが有ります。それが「意識」だと聞きました。


我思うに我あり


の意識です。これが脳細胞の何処で生まれ、何処にあるのか、皆目分からないのです。


これ以上進めますと、どうしてもスピリチュアルな世界に入りますので、この辺で止めます。


しかし、私が69年前に生れて来た、その時は肉体姿ですが、その肉体にいつしか私と言う「意識」が育った、又は生れた、又は何処からかやって来て肉体に宿った、どれが正しいのか分かりませんが、これはまぎれもない事実と思います。



かように、妄想は覚めやらず、明日を過ぎれば、また超現実の私に戻ることでしょう。


失礼しました。