兄貴と一杯
兄弟常に合わず 慈悲を兄弟と為す
兄弟(姉妹)、今は沢山の兄弟がいるという家は減りました。昔は多かった、特に昭和20年以降に、ベビーブームが来るわけですが、その頃は5人兄弟なんて当たり前でした。
私もその頃に生まれ、兄貴は勿論それ以前で、私とは4歳違います。
これは、アドラーという心理学者が言って居ることですが、兄弟の第一の課題は、親の取り合い、ですと。ですから、色々な場面で、兄弟は親の気を引こうとするのですと。
長男が音楽をやれば、二男はスポーツとか、なかなか二人とも同じ趣味や目標を持つことは少ないのは、この親の取り合いが根本にあるのだそうです。
幼いころは親の取り合い、そして成人し結婚すると、今度は奥さんを含めた家族同士の問題、兄弟なのに何でと言われるようなことは枚挙に暇が有りません。
昨日この4歳上の兄と、酒を呑みました。決して仲の良かった兄弟では有りません、むしろ憎しみ合って来た歴史の方が長いでしょう。
私には更に上の兄(長男・既に他界)が居まして、その長男が次男を殴ると、二男は私を蹴っ飛ばすという、和尚が猫をカンブクロに入れてボール代わりに蹴飛ばすという歌のように、最後はいつも末っ子の私が、このカンブクロ状態なのでした。
ですから、仲が良いはずが有りません(笑)
その兄弟も、人生の晩年が近づき、おまけに同じ病となりました。だからという訳では有りませんが、そんな喧嘩ばかりやって来た兄弟でも、妙に懐かしいのです。
もう争う理由は有りません、取り合う親は勿論居ません。残った二人の年老いた兄弟、これが愛おしくなくて、いったい何でしょう。
ああこれなんだなと思いました、それが、兄弟常に合わず 慈悲を兄弟と為す、この言葉なんだと実感しました。常に合わなかった時代は過ぎて、愛おしさの時代に入ったのだと思いました。
二人であるスナックへ、そしてカラオケ、これは相変わらずでしたね、一つも新しい歌は有りませんでした。
失礼しました。
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