命と向かい合う
こんなことサラサラ無かった、余命を告げられるまでは・・・・、凡人を自負している私、同じ凡人仲間を含めてしまうが、多くは同じような想いだろう。
さて、向かい合うとは・・・・、
妻になる人と恋愛時代、これは果たして向かい合っていたのだろうか、いや違うなと思った。向かい合うより前に、気持ちの高ぶりをぶつけていただけだったろう。
向かい合った友達はいただろうか、これもそんな瞬間は有ったかも知れないが、多くは刹那の時間を共有してきただけだろう。
では、お前は、お前自身と向かい合ったことがあるかと問うてしまう。
人生考えて見れば、誰よりも多くの時間を共有しているのが、自分と自分自身だ。言い変えれば、独り言の時間の長さと言えよう。考えるまでもなくいつもいつも私は、私自身と会話している。
それはとりとめもないこともあるし、明日の給与の支払いをどうしようと言う迫ったこともある。
でも、命と向かい合うということは一度も無かった。機会が無かったとも言える、いやそれで十分かも知れない。
そして今私はこう思って居ます。
命と向かい合う時間をありがとう、と。
これはなかなか得られる気持ちでは有りません。癌と言う病しか、そんな贈り物をくれないでしょう。癌は命の予定をくれる病です、多くは予定通りには行きませんが、余命を告げられてからは心の中に、カレンダーが浮かび上がり、それが消えることは有りません。
最近の会話は・・・、命君、予定を少し伸ばしてくれないか?、もう少し時間がないと会社が間に合わないんだ頼むよ!!と、誰かに語るように「独り言」を言う私です。
失礼しました。
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