我が本音に出逢う時
本当の自分を自分は、分かるのだろうか、日ごろからそれが自分と思っている以外の自分、それが本当の自分としたら、それはいったいどんな風景だろうか。
こんな本に出逢った、題名は「それもすべて神様のはからい」、ちょっとという感じがしたが、中味は面白いものだった。
その中に、こんなコーナーがありました。
「貴方の耳にひっかかることが教えてくれること」です。
僕達は「自分が本当は何を考えているのか」はっきりとは分かっていない、その為に僕達は時々奇妙なことをしてしまいます。
こんな書き出しです。そしてその奇妙なこととは?
何をするのかというと、自分が考えていることを自分の近くにいる人の口からしゃべらせる、のです。
何のことやらと思いながら・・・・、
あなたの近くの人が言っているセリフ。
あなたの近くの人がしゃべっている内容。
あなたが気になる、耳に引っかかる内容というのは、全てあなたの心で思っていることです。
あなたが自分の本心に気づいていないから、「無意識」が誰かの口を通じて、そのことをあなたに知らせようとして居ます。その人はあなたに協力をしてくれているのです。
でもそんなことをつゆ知らずのあなたは、その人が言った言葉に「なんてひどいことを言うのよ!!」と、反応してしまうのです。
人に聞かされる言葉の中で特に「これはひどい!」と思った言葉、もうやめろ!!と耳を塞ぎたくなるような言葉ほど実は、自分が知りたくなくて、それが自分の本音とは分かりたくなくて、強く心の中に抑えつけているのです。
まあ、こんな内容です。人に自分の本音を言わせているという考えは、ちょっと違う気がしましたが、でも、人のひどい言葉に反応してしまう自分を見る時、これって俺の本音か?と思うことしばしばあることに気づきました。
自分の心の奥底には、この地球の中にあるマグマのようなドロドロとした自分中心のエゴが渦巻いているんだろう。でも、地表にある理性という立派で綺麗な町並みは、そのドロドロを決して許さないのです。
だから封印して、いかにも自分は優しい人であるかのように振る舞うのですが、しかしその封印は、どこかで外れて、飛び出すのかも知れません。
今は亡き、心理学者の河合先生は、こんなエッセイを書かれて居ました。それは・・・、
己を殺して他人を殺す、でした。中味は以上のようなことでした。
人は誰も清廉潔白では有りません、そしてそんな人間ばっかりだったら、何とこの世は詰まらないことでしょう。
あんたは思いやりのかけらも無い人だ!と誰かに言われたら、う~ん、これって俺の本音かもと、本当は自分があいつにぶつけてやりたい言葉だったと思っても、それはあながち間違いではない、そう思いました。
失礼しました。
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