水彩画 徒然なるままに

自然の光と影を求めて、水彩画を描き始めました、そして懐かしい思い出もと思いました。しかし、ただの自己満足です、興味のある方はどうぞ

神に口なし 人を以て言わしむる

今日は仕事中(車でお客様へ)3度、同じ人に逢いました、不思議な日でした。


歳の頃は、私より上か、同じくらいか、男性です。


最初は、100円ショップ、私は仕事上で使う筆を買う為に寄りました。今や100円ショップで、立派なナイロン筆が3本セットで売られて居ます。


これは安いなと思いつつ横を見ますと、ポーチをタスキに掛け、ちょっとおしゃれな先輩が、同じように筆を見ていました。


ふーんと思いながら、私は直ぐにそのショップを出ました。そしてそれから3時間くらい過ぎたでしょうか、昼食を済ませてある取引先(100円ショップから3キロくらい)に寄って居ました。


すると、向こうから見おぼえがある先輩が歩いて来ました、先ほどの先輩です。先輩は私の前をすーっと過ぎて行きました。その時、特に用事があるような歩き方ではないなと、何となく思ったのです。


そして暫くして、そこから5キロ程離れた場所、私はセブンイレブンに寄り、飲み物を買い外を眺めて居ました。すると向こう側の歩道を歩いていく、見覚えある姿が有りました、あの先輩でした。


彼はただ、ひたすら歩いて居ました、それは目的があるような姿ではないと、改めて感じました、聞いて見なければ分かりませんが、多分朝からずっと、さ迷い歩くように、時間が過ぎることを願うように、歩き続けているのかとも思ったのです。


たまたま今日は3回見かけたのですが、昨日もその前も、このように歩いているのかも知れません。


他人ごとではないな、これは・・・・、


自分の場合はもっともっと悲惨(先輩が悲惨かどうかは分かりません)かもと、会社が潰れ家を取られて、かみさんは居なくなり、そして病が重くなり、そして先立つものも無くなり治療も受けられないのかもと、最悪のシナリオが頭の全部を覆いました。


ああ、また最悪のシナリオを書いてしまった、駄目だあ・・・、私は暫し、休み、冷静に成ろうと思いました。



神に口なし、人を以て言わしむる


漸く、こんな言葉を思い出しました。私以外の人達の振る舞いは、全部それが自分への贈り物なんだと、それらは必ず自分への示唆なんだと、思い直したのでした。


先輩は、悲惨でも何でもなく、ただの運動だったのかも知れません。



でも一方で、ふと思いました。沢山の先輩達が、こうやって日長歩いているのかも知れないと、それはそれでいつもは気付かず、日常の風景に溶け込んでいるだけなのかも知れないなと。


失礼しました。