水彩画 徒然なるままに

自然の光と影を求めて、水彩画を描き始めました、そして懐かしい思い出もと思いました。しかし、ただの自己満足です、興味のある方はどうぞ

走り出したら自分で輝け!!

青山学院、陸上部、原晋総監督の言葉です。


駅伝は走り出したら孤独、誰も助けてはくれない、だから自分で自分を励まし、自分で輝かねば駄目なんです。これから彼等は社会人となり、駅伝とは違う世界に入って行く、その時に、駅伝とは違う競争者ばかりの世界に気づくだろう。


駅伝で、自分を輝かせることが出来たら、それはトップでなくても構わないのです。いやトップではない時に、今走っている自分を、その自分を自分で、認めていく心の作業をして欲しいのです、と。


それが出来れば必ず、社会でも輝けるのです。



これは、自らの心に灯を持ち続けることへの、前哨戦なのですね。



私の一番尊敬する先輩、齢74歳ですが、今はホームのバスの運転をして居ます。まだ働くのですかと聞きましたら、何故か新聞を見ていたら募集が有ったので、行ってみたんだと、直ぐに採用となり働き始めたのだそうです。


先輩曰く、老人達に元気がないと、孤独でもあり、もう何も期待する未来はないという真っ暗な空間に自らを投入してしまっている、と。


特にこのことは男性に顕著で、極端に言えば、誰も自分の部屋から食事以外は出て来ないだという。このことを先輩は憂いて居ました、しかし、それにいくら手を差し伸べても駄目なんだというのです。


それは太陽の光によって輝いている月のようなもので、太陽が陰ったら、それは真っ暗な空間に浮かんでいて、自分でさえも、その姿が見えなくなるのです、と。


どんな小さな灯りでも良い、自分の心に自分が灯を持たなければ、駄目なんだと先輩は一生懸命老人達に、それを問うことを、繰り返して居ます。



いつも社会の光や他人の光の中で、自分が輝いて来たと錯覚して来た人達(殆どそうでしょう)は、いつかその社会的地位という光、家族の長と言う光を失った時、何と不自由なのかと思うのだと先輩は言います。


ほんの小さな光で良いから、いつも自らを自らが照らして来た人達は、老人になっても、どんな仕事についても、自らの位置や存在を見失うことはないのです、と。


走りはじめたら、自分で輝け!!、この前哨戦経験がどれくらい大切なことかは、その人の晩年の人生が教えてくれるのでしょう。



失礼しました。