九品仏の紅葉 2
九品仏浄真寺は、奥沢城という城でした。その名残が、お寺の周りに今でもある城壁です。
小学校の頃、よくこの城壁の上を、自転車で走りました。城壁と言っても、土を盛り上げたもので、沢山の木も植えてあります。
☆少し進みました。さて、この参道を左に行くと、城壁の跡が有ります。
この城壁を始め、浄真寺は、近隣の小学生の遊び場でしたね。しかし今は、綺麗に整備されて、京都の寺のようなたたずまいと成りました、さて、どちらが良かったのか、分かりませんが、遊び場が一つ減った、これは確かです。
そういえばあの頃は、家で遊ぶと言う発想が全くありませんでしたね、学校から帰ると、鞄を放り出して直ぐに外に出たものです。どうやって待ち合わせたかって?、そんなのたむろする場所は決まっていたんですよ。
携帯なんか無くても、ツーカーで集まって居ました。そして考えることは悪いことばかりでした。柿泥棒とか、トマト泥棒とか、線路に五寸釘を置いてペチャンコにしたりと、良くないことばかりして居ました。
後、野球もやりました、グローブなんか誰も持っていない時代でしたが、布を縫い合わせて、即席のグローブを作りやっていましたね。
でも、イジメは無かったです、何でか、それは分かりませんが一つ言えたのは「貧乏」だったから、下町の全員が貧乏だったから、嫉妬心も無かったのでしょう。
山の手のお金持がいたじゃないかって?、そうですね、でも、貧富の差がそれはもう極端に違いましたから、比べるなんてことも無かったですね。
失礼しました。
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