水彩画 徒然なるままに

自然の光と影を求めて、水彩画を描き始めました、そして懐かしい思い出もと思いました。しかし、ただの自己満足です、興味のある方はどうぞ

面白いな、と、思いました。

ヤフー記事からですので何処まで真実かは分かりません。


まあ、どうでも良いことですので、興味の無い方はご遠慮下さい。



石原良純氏の言葉です。


親父はみんなに愛されていないと、自虐していた、と。


裕次郎はあんなに愛されているのに、俺は愛されていない・・・・、


ここで何故なんだ!!とは問うて居ません。問うまでもないことと知っているのでしょうね。




心理学に承認欲求というのが有ります、みんなに認められたい、いやみんなで無くてもあの人には認められたい。子供で有れば、親に認められたいと、兄弟が居れば、それが親の愛の取り合いにも成りますね。


この認められたい欲求=承認欲求でしょう。認められたいを、愛されたいと同語としても良いと思います。



でも、誰が何を言おうと、我が道を行くのであろう、そんな生き方を選ぶこともなく選んだと感じる石原新太郎氏が、そんな欲求を持ち続けていたとは、何と人とは不自由なんだと思いました。


先日自害された西部さんは、もしかしたらそんな自分の心の中に潜む、最も毛嫌いしたい我が欲求に気づき、それを消し飛ばしながら多摩川に消えたのかも知れません。


人の行動の源エネルギーは、この承認欲求であると言っても過言ではないのでしょう。幼き頃は親に、大きくなると仲間に、大人になると社会に、そうやって欲求の幅は広がって行きます。


しかし、もっと大人、つまり晩年になるとこの欲求は捨て去らねば成りません。しかし急には捨てられません、だんだんとフェードアウトするように人生をチェンジする、それが上手な人とそうでもない人は居るのでしょう。


どうすればチェンジ出来るのか、ものの本にはこのように書かれて居ます。



それは、人を愛することです、と。ただ、それだけですと。


そうなんですね、ただ、それだけなんですね。


失礼しました。