奇跡は有るか
何事も偶然か・・・・・、
この論議は「この世は」生まれるべくして生まれたのか、いや単なる偶然の結果だと言い切るのか、その問いでも有ります。
奇跡があるとしたらそれは神がおられるということ
奇跡が無いとしたら(何事も偶然である)、この世は、猿がランダムに打ち続けたタイプライターの文字がいつの間にか、夏目漱石(誰でも良いです)の小説となっていたという、物凄い偶然の結果で出来たものと成ります。
群馬県の志万温泉に、積善館という歴史ある温泉宿が有ります。創業から324年、関善兵衛という方が創業されて、その文字を変えて「積善館」と名付けたと有ります。
その旅館の、会社で言えば社是でしょうね、こんな言葉が残って居ます。
積善の家には必ず余慶あり、積不善の家には必ず禍有り(少し違うかも知れません)
324年続いて来たお宿、その歴史は一様では無かったでしょう。しかし現在も続いているということは、何がしかの意味をこの言葉は含んでいるのだと思います。
良いことを積み重ねる(良いこととは何かという論議は別にして)家には必ず余慶有りとは、何なのでしょうか。
☆積善館の玄関です、立派です。
人間、死が近づくと、多くの人が死んでも命が有るように(笑)などと言う、名テーマに取組み、挫折します。いつも答えは出ないし、誰にも分からないからです。
さて、奇跡はあるか、ですが、私は有ると思って居ます。
これは単なる願望では有りません。つまり、この世は、大きな意志が働き続けている、猿がランダムに打った結果の偶然戯曲ではない!!、そういう意味です。
だから、人間に生まれたことも奇跡、そして生き続けることも奇跡です。
私達の身体の中で、60兆個に及ぶ細胞達がお互い連絡し合いながらバランスを保ち活動しているということがだんだんと分かって来て居ます。これ、誰か意識出来て、連絡が来た人が居るでしょうか、細胞から・・・・私に電話が入ったなんて、
居ませんよね。
それは多分、細胞達が報告せねば成らない対象が、その肉体の借主ではないからでしょう。報告するなら大家さんですよね。
失礼しました。
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