水彩画 徒然なるままに

自然の光と影を求めて、水彩画を描き始めました、そして懐かしい思い出もと思いました。しかし、ただの自己満足です、興味のある方はどうぞ

未来は栄光と不安に満ちている 晩年になっても

この言葉、テレビのコマーシャルのコピーです。


この言葉に近いなあと思った言葉が、幸せは二人三脚でやって来る、という言葉です。幸せはやっては来ないですが、やってきたとしても幸せだけとは行かない、受け取りたくないものが付いて来る、そんな意味だったと思います。


羽生選手、どうやら国民栄誉賞を貰うことになるらしいです。オリンピック二連覇で、アイススケート史上では66年ぶりだそうで、これって大変な栄誉です、そして栄光です。


私のような凡人には考えられない程の、高い高い山の頂上に立ったのだと思います。でも、山が高ければ高いほど、その谷は深い訳です。若きときに頂上を味わった脳みそは、その谷の深さを想像することは難しいでしょう。


オリンピック選手やプロスポーツ選手の未来が、必ずしも末広がりでない、それは心のバランスを自覚する時間がないことと、高みに一度上がって見たが、そこからゆっくりと下る術を持っては居なかったこともあるかと思います。



さて、大器晩成という言葉が有ります。これは、人生晩年が勝負だと言う意味と、晩年にしか味わえない「幸せ」があるよという意味でしょう。


私のような凡人は、人生を通じて、高い山の頂上を味わうことも無かったのですが、その代わりに、深き谷も無かった人生です。頂上から落ちても痛くも痒くもない、ぼよよ~んとした人生です。



しかし、後もう僅かだなあ残りの人生はと感じた時から、これが自分が登るべき山なのかとおぼろげに見えて来ました。


これは有り難い、晩年になって道が見えてくるなんて、こんな嬉しいことはないと思ったのです。大器晩成ではなく私の場合は、小器挑戦でしょう。この山を登ろう、そうすれば最低限、迷惑の少しでも掛からない最後が待っている、そんな風に思ったのです。


それは何度もこのブログでお伝えをして来たこと、病と付き合いながらの会社再生です。


再生出来なければ、深い谷も有る、再生出来れば少し穏やかな丘に寝そべるのかも知れない、晩年を迎えて、そんなはっきりとした道を感じることに感謝なのです。


未来は栄光と不安に満ちている、これは晩年を迎えている私のような者にも当てはまるのだと思いました。残り少ない人生に目標があるなんて嬉しいこと、感謝しかありません。


失礼しました。