水彩画 徒然なるままに

自然の光と影を求めて、水彩画を描き始めました、そして懐かしい思い出もと思いました。しかし、ただの自己満足です、興味のある方はどうぞ

誰もが心に持っている秤 3


分け行っても分け行っても 青い山


この詩の本当の意味は知りませんが、この詩がピッタリと思う、山々の奥深い街道沿いに、その店はオープンしました。


その頃の先輩は孤独の中でした、しかし心の中は孤高だったのでしょう、そしてどさん子本部の反対を押し切って店をオープン、もし失敗したら、何てことは考えて居なかったかも知れません。


でも、オープン当初は閑古鳥だったと聞きました。しかし、だんだんと様子が変わって来たのです。山々を仕事場とする「キコリ」さん達が、本当に集まり始めたのでした。考えて見れば、見渡しても店らしいものは一つも有りません、もし10キロ先に店がオープンしたら例え興味本位でも、一度は訪れるかも知れませんね。


その一度が、始まったのでした。これは先輩が明かしてくれたことですが、どさん子ラーメンは本部から、錠剤のような出汁の素が送られて来て、本来ならそれでそのまま出汁を取るのですが、先輩は違いました。出汁にも、こりに凝ったのでした、グルメでも有ったんです。


一度が、二度、そしてキコリさん達が常連となって行きました。噂はすぐに広がります、農家や船頭(熊野川の船頭さん)さん達、近所中(家は300メートルに一軒くらいでしょうか)の人々も集まり始めたのです。先輩の決断は、正しかったと言えるでしょう、先輩は故郷に帰り、先ずは生活の基盤を作ったのでした。


さて、これは喜ぶ話ではありません、ある大きな出来事が東京で起こりました。先輩の勤めていた証券会社が倒産廃業したのでした。路頭に迷う社員達、自分の会社が潰れたことを一番後に知ったのが、社員達でした。有る日出勤したら会社が閉じていた、こんなマンガのようなことが本当に起こったのでした。


この事を先輩はどう思ったのか、それは聞いて居ませんが、大変残念に思ったことでしょう。日本の三大証券の一つが潰れ、日本の金融機関も、どんどんと統合された行ったのは、その後のことでした。



続く

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