水彩画 徒然なるままに

自然の光と影を求めて、水彩画を描き始めました、そして懐かしい思い出もと思いました。しかし、ただの自己満足です、興味のある方はどうぞ

終の居場所について

この先日の記事に、友人からクレームが来ました。


70歳になって、自分の職場が自分の居場所ですと、何だか誇らしげに書かれていたと、それはそれで良いと思うが、それが無い人は不幸だとでも言いたげな、ニュアンスを感じたというのです。


それは申し訳ないと謝りました、しかし、私が今そう思うことは分かって欲しいとは思ったのです。


いつ潰れるか分からない会社を19年続けて来られた、これも私の物好きと取られるかも知れませんが、そしてこの18年目辺りから、やっとトンネルの向こうが見え始めたのです。


しかし良いことは良いことだけではやって来ません、必ず同伴者が居ますね、その同伴者は要らない、良いことだけは欲しい、という訳にも行かないのが私達の現実です。


そんな同伴者、私に同伴して来たのが、会社が17年目に入った歳でした。余命を宣告された病と言う同伴者です。


☆会社の宅配車です、これでお客様を訪問します。



会社は良い兆しが見え始めているが、未だトンネルの出口は見えて居ない、もう駄目なのか、身体と会社の心中かと思い悩んだ日々でした。お腹を押さえながら、何度同伴者と話をしようとしたか、馬鹿な私です。


でも今、その余命まで後1ケ月半と成りました、まだ現代医学の力で、もう少し生かせて貰えそうです。でも現実には、私と同じような末期の方々が次々と鬼籍の人となっても居ます。


会社と病、どちらかが駄目に成るのか、どちらも奈落の底に落ちるのか、いや諦めるものかと這いあがろうとする日々、その余命2年の宣告から1年目にトンネルの向こうが見え始めたのでした、会社のです。


後一年か二年か、立って仕事が出来なくなる前に、自分は会社を辞することにして居ますそんな中で、表題の「終の居場所」という想いが生まれたのです。


私の人生をここまで追い込んだのは、私の無計画な人生の結果と思って居ます。その無計画な私がまさか、終の居場所を深層で求めていたとは、自分の驚きでも有りました。


終の居場所、でもほんの束の間です。



失礼しました。