人生とは
50年前の赤ちゃんの取り違え、朝からそんなニュースが走っていた。
順天堂醫院、大学病院なのに昔からのこの名前が未だに付いている、名門でしょう。この病院に父が相当期間入院していたので、良く通って居ました。だからこのニュースに敏感だったのかと思います。
☆立派な病院、私が通っていた頃は、昔風の病院でした。そう丁度50年くらい前だったかも知れません。
赤ちゃんを何故取り違えたのか、何故それが今頃分かったのか、しかしそれが主題では有りません。
50年過ぎて、それが分かった、何だかおかしいと思い続けた50年だったのか、50歳になった赤ちゃんが、その事実を受取ったことへの衝撃はいかほどのものだったろうとは思いますが。
でももし、そんな事実が他の誰かの頭上に落ちたとしても、その人が今幸せであれば何の問題も無いのかも知れません。
母親は、本当の自分の子供を知りたいとも思うだろうが、もう50歳となっていると思えば、ただ幸せを祈るだけかも知れない。そして、取り違えられて50歳を迎えた我が子が今幸せであれば、それが神様のいたずらだったんだと理解するくらいだろう。
さて元に戻り、50年過ぎて、違和感を持ち続けたと思われる親子が、本当に取り違えられたんだと分かった時に、人はどう生きるのだろうか?
問題は違和感を持ち続けたであろう、このことにある気がして成らない。
やはり違ったんだ、やはりこの子は私の子では無かったと親は思う、子供は全く反対の立場で同じことを思うのでしょう。
こんな言葉が有ります。
原因を追わずして善後をはかる
私共の会社が窮地に陥り、何故何故何故と思い続けた時に出逢った言葉でした。過去から未来に流れ続ける時間、決してそれは戻ることはしない。であるならば、いくら振りかえっても何の意味はないし、返ってエネルギーを削がれていく。
ならば、いつも「善後をはかる」しかないのが人生なのだと。
取り違えたことを認めた大学病院、それに至るまでは、大きな戦いが有ったのだろう。そして、しかし、その結果が彼等の未来に何をもたらすのだろうか。
ここで思うのです。親子の血より大事なものがあると、命より大切なものもあると、いつどこにどんな環境に生まれようと、その大地の上でいかに生の花を咲かせるのか、それしか人生の課題を乗り越えることは出来ないのだと思う。
本当に余計なお世話でした、失礼しました。
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