水彩画 徒然なるままに

自然の光と影を求めて、水彩画を描き始めました、そして懐かしい思い出もと思いました。しかし、ただの自己満足です、興味のある方はどうぞ

誰もが心に持っている秤 4

有る日私は、どさん子を訪ねました。


相変わらずの繁盛だった、先輩は私が来たことに気づいて居ません、それくらい忙しいのです。


ふと、洗い場を見ると、見知らぬ女性が立っていました。誰だろう、今まではこんな美人は居なかったし、近所のおばちゃん達が、交代で助けていた洗い場でした。


そして、もう一人、洗い場に現れた、何とそれは先輩いの奥様だったのです。最初の美人は、娘さんだったのでした。


この時既に、先輩のお母様は天国の人となって居ました。末息子に、何で帰って来たんや、お前が東京で大きな会社に勤めていることが私の自慢だったのに、何なんや!!と怒りまくったお母様、しかしやはり、その本心は違っていたのでした。


それはどさん子が波に乗り始めた有る日、先輩は近所のおばさんから聞いたのでした、あんたのお袋さん、あんたが帰って来たことを、とてもとても心では喜んでいたんだよと、ああいうひとだから、照れているんだ、安心しなよ!!と。


そして今、東京に置いて来た家族達も、引っ越してきたのでした。それは信じられないような会社の倒産も引き金になったのかも知れません、しかし何と行っても、一心岩をも貫く、では有りませんが、先輩が進み始めた「親孝行」という人生の動機に、突き動かされたのかも知れません。


奥様は私を見つけると、洗い場から手を拭きながら、笑顔で、その手を差し出しました。それが何を物語っているのかは、直ぐに分かりました。彼女が選んだ人生が、その笑顔に凝縮をしていました。奥様、ご家族も、ずっと葛藤の中にいたのでした。


親父が先輩に伝えたとんでもない生き方、孝は百行の基と伝え、飛ぶ鳥を落とす勢いの証券会社係長に退職を促す、それは何と無責任な指導と誰もが思った人生の選択、しかしそれは15年、20年でだんだんとその答えを現したのでした。


人生とは何か、その答えの一つがここにあると、私は思わざるを得ませんでした。


親孝行したい時には親はなし 墓に布団は着せられず


全くそうだと、こんな見本のような人生を見せられた私ですが、親孝行は全く出来ません、申し訳ないことです。私の心にある秤は、100%天秤秤です、それは取引の秤です、残念!!と思いながらそれが事実であることは、分かったつもりです。