水彩画 徒然なるままに

自然の光と影を求めて、水彩画を描き始めました、そして懐かしい思い出もと思いました。しかし、ただの自己満足です、興味のある方はどうぞ

人生は選択の連続

聞きなれた言葉と思います、人生は選択の連続という言葉、この所のテレビ報道を見ながら、この言葉を思い出しました。


こんなたとえ話が有ります、目の前で起こる問題・現象・条件に対して、何をどう選択するのかを教えようとした逸話です。


父親 お前、今すぐにどの家でも良いから、放火してこい!!


息子 分かったよ親父、言って来るよ



何も逆らわずに、出かけていく息子・・・・、


さあ、息子はどうするのか


そして、息を切らせて帰って来た息子



息子 お父さん、火を点けに行ったんだけれど、途中で事故が有ってその人を助けていた
   んで、行けなかったんだ。


父親 何だ、そうか、分かったが、また必ず行くんだぞ!!


結局、こうやって息子は、火を点けに出かけて行くんですが、必ずアクシデントに逢い(そのような理由を作って)、行けなかったよと報告し続けるのです。


何十回とそれが続くうちについに、父親がもう良いよと、諦めたという話です。



これは逸話ですから、突っ込んでも仕方がないです。でも、ここに、人生は自己責任だという、ヒントがあるなと感じたのです。誰の指示であろうと、それを実行した本人の人生を、誰も肩代わりはしてくれないし、出来ないのです。


火を点けて来い!!とは、非常に極端な話です。でもこれはわざわざ極端に作っているのだと思います。それは誰が聞いても悪いことでなければ成らないからです。


もう一つ、その誰が聞いても悪いことを、素直に聞いたふりをして出かけていく訳ですが
・・・、これは、全く歯が立たない相手からの命令に対して、どう対応したら良いのかを教えて居ます。


だからと言って、何でもこのようにすれば良いと言うものでは無いでしょう。


この場合は、命令をした親に、罪を作らせないという息子の配慮も伺えます。



こんな理不尽なと思われることが起きた時、それもそれが自分の人生のキャリアを傷つけるようなことで有った場合に、さあ自分はどうするかのか、そこで何を選択するのか、そこにはその人の本当が現れ、それはその人の死生観にまで繋がるのだと、感じました。


思わず、西郷と月照を思い出しました。


失礼しました。