水彩画 徒然なるままに

自然の光と影を求めて、水彩画を描き始めました、そして懐かしい思い出もと思いました。しかし、ただの自己満足です、興味のある方はどうぞ

人生のプログラム

昨日、以前に乳がんが見つかり、1ケ月程放射線療法をしていたパートさんと、話をする機会を持ちました。


キューブラー・ロスの受容の5段階では有りませんが、病に対する怒り・取引・拒否・抑うつ・受容、これらの5段階が正しいのかは別にして、彼女からは最初の3段階は感じられず、暫くの間は、4と5の間をさ迷っている感じでした。


ステージとしては早い段階で見つかったのですが、余りたちの良くない広がりがあり、彼女曰く、いつも死刑の宣告を待っている感じがしていて、これがこれからずっと続くのかと思うと、ぞっとする、これは本音だと思いました。


でもこうなった以上、これからの人生を大切に生きたい!!と、決意も語られて居ました。


その言葉を受けて思ったのです、人生にはプログラムが仕掛けられていると、誰から?ですか、それはそれぞれの受取りと思います。


それはどんなプログラムか、それが分かったら苦労はしませんが、一つ言えることは、こういうことではないかと思って居ます。



①命の予定を知らされる人(これは医療の発達で変わる)


②予定は知らされない、でも、事故に巻き込まれたり、突然命を失う人生かも知れない


注、①の人が②に成らないという保証はない



お釈迦様、いわゆる歴史上の高僧と呼ばれた人達、そして比べたら叱られますがジャングルの象、前者は自らの死期を悟り、その日が近づくと断食をして召されていく、まあそんな美しくも見える伝説は後世の信者達の話なのでしょうが、



ジャングルの象は、死を悟ると、仲間の象の死体のある場所に頻繁に通い始める、これはどうやら事実のようです。


象の立場には成れませんので、どのように死を悟るのかは分かりませんが、これはプログラムと言えるものかも知れませんね。


しかし、こういう類を語って行くと、必ず、一つの大きな疑問にぶつかります、そしてそこで立ち止まり道を失います、それは・・・・・、


この世は、創作されたものか、単なる偶然か、という疑問です。


これには沢山の人々が解答を出されて居ますが、そのどれも根拠の少ないものです。



話は戻り、パートさん、非常に元気でした。命には限りがある、それを教えて貰えたことが、彼女に開き直りとも言える、決意を与えたのかと私は理解しました。


失礼しました。