神の見えざる手
理稀(ヨシキ)ちゃんを助けたボランティアの先輩を見ながら、私の兄の友人を思い出しました。
その友人、今は付き合いは遠くなって居ますが、実にユニークな人でした。一人で、山北の山奥に住み、その周りでは色々奇妙なことが起きるのです。
良く彼は早朝目覚める頃に、おかっぱの少女が枕もとに立つのだそうです、そして目覚めると少女はすでに去っていて、その跡に、水が溜まっているのだそうです。これが何の水なのかは分からず、毎朝水の掃除だよと、笑って居ました。
そのような座敷わらしのようなことはもう当たり前になって来て、もっと違った感じのことも起きるようになったのです。地元の警察からも、時折、表だってでは有りませんが、捜査協力の依頼が来るとのことでした。
ある日来たのは、行方不明の捜査依頼(ちょっとすみませんという感じで)でした。
このような時彼は、ある直感が働くのだそうです。何かに導かれるように山奥に入って、その何かに真っ直ぐに向かっていく(結果それがわかる)のです。
そしてその山奥の木の枝でこの世を去った人と出逢うのです。まるで呼ばれたように。
真っ直ぐに向かう力と申しましょうか、何かに導かれるようにためらうことなく向かって行くその源泉は何でしょう。
今回のボランティアの先輩の捜査を見ながら、私はこのことを思い出しました。
ボランティアの先輩は、何か「神の見えざる手」に導かれた、そう思ったのです。
ヨシキ君はここだよ、貴方が助けなさいと無意識ながら導かれた、そう考えると、捜査が始まって30分で辿りついたことも頷けます。
いやそれはたまたまですと、ご本人はおっしゃるかも、しかし、インタビューでの、捜査開始の前の彼のご家族や警察に対する言葉を聞いていると、もうすでに導かれているなと感じたのです。
そうではない、そんなことはないとも思いますが、そんなことが有っても良いとも思いました。
失礼しました。
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