人は生きて来たように死ぬ
全然縁起でもない題名ですが、ご容赦下さい。
以下は、沢山の患者の最期を見取ったあるお医者さんの言葉です。
先生によると、
「人は生きたように死んでいく」 のだそうです。
しっかり生きてきた人はしっかりと亡くなっていく。
ネチネチ生きてきた人はネチネチと亡くなっていく。
だらしない人はだらしなく亡くなっていく。
普段から感謝してる人は、感謝しながら亡くなっていく。
不平ばかり言って生きてきた人は不平ばかり言ってなくなっていくらしい。
死に際に現れるのは、地位や職業ではなく、その人の生き様、人生への態度だそうだ。
この言葉を聞いた時私は思いました、これは抗えないことなのだろうなと、今から焦って例えばキリスト教の洗礼を受けたとしても、少しも無くなっていない不平不満の心は、必ず現れて死に様に反映するんだろうと。
☆これは、妻の故郷の山、小さな山ですが「御浜富士」と呼ばれて居ます。この山の前に広がるのは、田んぼ群です、広いです。いつも豊作を祈ってくれて居るであろう御浜富士、今年も豊作でした。
そしてもう一つのこと、実際これが一番大事なことと思います。
それは、死ぬということは、自分のことなのですが、同時にその死に逝く自分はどうでも良いことなんだということです。
死ぬのはご本人なのですが、その問題というか状況は全て、それを見取る人達の「課題」となるのだと感じました。
私は思います、妻や子供たちにとって、少しも良い夫、親ではなかったなあと、せめて死ぬ時は己を殺して、抗い、瞬間的にも「良い親」で有りたい、そう願いたいと思いました。
自分はまだ、元気で生きて居るのに、こんなことばかり書いて居ます。でもなあ、この所沢山の人が亡くなるなあ、そんな状況が書かせるのかなと思って居ます。
失礼しました。
このブログへのコメントは muragonにログインするか、
SNSアカウントを使用してください。