みんな途中で死ぬのです。
お陰様で味覚障害、かなり回復して来ました。未だ、多少の苦味が有りますが、食べ物が常にゴーヤ入り(すみません、ゴーヤはゴーヤで嫌いでは有りません)が無くなって来ました。
でも、早すぎますね、先生は一か月くらい掛けてゆっくり行きましょうねとの指導でした。
先生の主旨は、身体が食べ物を拒否している信号ですと、だから脳が舌を苦くしているんですと。つまり、私の身体が、いや心が痛んでいるので、それを治さないとこの苦味は消えないのだというのが、先生の考えです。
でも、何故心が痛んでいるのか、それは明瞭で、何度も同じことを言いますが、それは末期の癌であり、末期の会社です。この二つを抱えている以上、心の痛みは治ることはないでしょう。
しかし、この表題に出会った時、そうなんだなと妙に納得したのです。
みんな途中で死ぬのです・・・、これはあの瀬戸内寂聴と水上勉の対談本に有った言葉です。
誰もが、自分が目指したことを完成させて、さよならすることなんか無いのですと、そこには必ず不完全があり、その不完全は、後の人が継いでいくのです。
自分が何が何でも完成させようなんて、自我そのもので、そんなものは後の人も継ごうなんて思わないでしょう。
会社はお陰様で、3年くらい前から黒字に変換しました。創業18年目で初めての黒字です。それまで一緒に頑張ってくれた仲間たちは、きっとこの会社を継いでくれるでしょう、きっと。
病は、余命宣言を受けた歳月を既に半年を越えました。これも、思ったのです、後どれくらいかなんてことは考えないで、今日の一日を真剣に生きること、日々生かされていることに感謝を忘れないこと、その生かされている時間を大切にすること。
でも、これは心の問題です。癌は癌で、標準療法以外にこれはという療法が有ったら、それに挑戦する。その結果がどうなるかは余り考えない、こんな生き方です。
でも、志半ばで、お迎えが来るかも知れません。それはそれで正装してお迎えを受けたいと思いました。
みんな途中で死ぬのです、この言葉は私の気持ちを楽にしてくれてかつ、奮い立たせました。
このことが、味覚を戻し始めているのかも知れません。勿論、漢方のお陰が基本ですが。
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