増田宗太郎という人(西郷に魅入られた男)
NHK西郷ドンが、間もなく終わります。西郷隆盛については、その顔もあまり分からないという中、一方で英雄という言葉も飛び交います。
英雄とは何なのか、人の魅力とは何なのか、ここは司馬遼太郎氏の「翔ぶがごとく」を借りて、西郷という人格に触れ、自分の人生をこの人格に捧げようと決意した、増田宗太郎という人物に焦点を当てたいと思いました。
増田は、あの福澤諭吉の親戚にあたり、増田の西郷像が、福澤の西郷評価に多大な影響を与えたと有ります。
増田は、あの西南戦争で、中津軍として西郷軍に参加しました。増田は、中津軍の隊長として参加したのです。その時まで、増田は西郷隆盛を知る由も無かったです。
以下は、西郷隆盛という人格を知った増田の言葉です。
☆増田宗太郎、その人です。
増田は、『自分は諸君から選ばれて隊長になった。隊長になると、自然、西郷という人格にしばしば接した、諸君は幸いにも西郷を知らない、自分だけがそれを知ったが、もはやどうにもならぬ』
といい、たちまち涙を流します。増田宗太郎が、このときいった言葉が中津の人々に記憶されているといいます。
吾(われ)、此処(ここ)に来り、始めて親しく西郷先生に接することを得たり。一日先生に接すれば一日の愛生ず。三日先生に接すれば三日の愛生ず。親愛日に加はり、去るべくもあらず。今は、善も悪も死生を共にせんのみ。
増田宗太郎は、これほどに西郷に魅入られたのです、人とはこのように人にのめり込むものなのか、釈迦の弟子たちもそうだったのか、分かりませんが、ここに一つの西郷象が垣間見えます。
これを書いた司馬遼太郎は、西郷という人物がいかな人間であるのか、これはもう西郷に逢うしかないでしょう、と。つまり、逢わないと分からないと書いているのです。
福澤諭吉は、西郷隆盛と逢ったことは有りませんが、この増田宗太郎の言葉により、誰よりも西郷を評価する立場になったとのことです。
男心に男がほれて、なんて歌が有りますが、この増田幸太郎の言葉はそれ以外の何物でも有りません。
翻って・・・、幸せって何?と聞かれた時に私は、このことを思い出します。西郷にとことん惚れることが出来た増田宗太郎は、幸せだったろうと。
失礼しました。
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