一緒に働いて見ると
気に入らなかった右側のソテツ、消しました。気にいらないというより腕が悪いのですが(笑)
表題の言葉、他人のことではなく(他人にも顕著に現れますが)、今回は私自身のことです。一緒に働いて見て初めてその人が分かると。働いて見ないといつまでも分からないのだと。
夫婦も同じ、付きあっている内は相手が見えない、でも一緒に住み始めると、何もかもが裸になるんだと。
私は20年前、従兄弟と一緒にこの会社をスタートしました、その従兄弟は創業から7年後に退職しました。
乱暴な言葉で言うと、あんたとはやってられない、そういう意味だったと思います。
従兄弟は堅い人間、古い方に入る男でしょう、私がネット(当時始まっていた)で営業車を買おうとすると、何でちゃんとディーラーから買わないのかと、助言して来ました。
当時ネットは、あまり信用が無かったのです(今でもでしょうか)、彼とは幼いころから一緒に遊び、一緒に未来を語って来ました。20年前の会社の廃業と創業に、大いに彼は力を発揮しようとしたのです。
でも、一緒に働いて見ると、だんだんと私の腹の中が見え始めたのでしょう。これはいつか見限ろうと思っていたことだと思います。
利益を出し、その利益をどう使うか、こんな所にもその人が出ます。10年後にはこうなっていたいと彼に告げたら、鼻で笑われました。明日の資金も枯渇している会社が何で十年後なんだと!!、叱られたのです。
彼は去って行きました、それからどうしているのかは分かりません。年賀状は来ますので元気でいることでしょう。
彼だけでは有りません、やってられないよ!!と、何人もの人達が辞めて行きました。その気持ちもよく分かりました。
そうやって年月は流れて、古い会社の人達は、一人を除いて全員退職したのです。
一緒に働いてみて、私がどんな人間か分かったのかと思います。でも、分かった上で、どうして行こうと突っ込んで来た人はおりません。
いや、居ましたね、パートさん達です。女性は現実的です、パートさんと言えども、ここに人生を掛けているのです。
平成27年に利益が出始めた時、パートさん達は言いました、ちゃんときちんと丁寧に仕事を居て行けばお客様は理解してくれるんじゃないですか、社長!!と。
凄いな、この人たちは本物だと、私のいい加減さは、このパートさん達に見事に剥されたのでした。
このブログへのコメントは muragonにログインするか、
SNSアカウントを使用してください。