水彩画 徒然なるままに

自然の光と影を求めて、水彩画を描き始めました、そして懐かしい思い出もと思いました。しかし、ただの自己満足です、興味のある方はどうぞ

嫌われる勇気

心理学者アドラーの思想を、日本的に著した本「嫌われる勇気」お読みになった方もあろうかと思います。かなりのベストセラーとなりました、ちょっと前ですが。


嫌われることを恐れるな!!、君の人生をストップしているのは、この恐れる心だと、言いたいのだと思います。




でもなあと、思いました。


嫌われるのに勇気が必要だろうかと、思ったのです。


これは逆なのではないか、勇気を持って歩んでいたら、嫌われることも多かったと。



私は50歳の時に会社を創業しました、その会社は様々な人の心をも継承していた。その新しい会社に参加したのは、廃業した会社の職人さん達だったからです。


創業から3年間、私の第一にやってきたことは、給与のダウンでした。三年で、有る人は半分、ある人は三分の一と成りました。十数人の職人さん達、一人一人に会社の状況を説明して、新しい給与を提示します。


苦しかったです、夜寝るなんてことも思いませんでした、目はランランと輝き、妻は私を鬼のように感じたかも知れません。心にあるのは、創業80年に成ろうとする会社を続けるんだという、もしかしたら不必要な、はかない決意だったかも知れませんが。


ある職人さんは、椅子を蹴って立ち去りました。ある人は唾を吐きました、ある人はこう言いました、


社長さあ、先ずあんたの給与を下げたらどうなんだい、と。彼は私が給与を得ていると思っていたのです、当たり前ですが。


彼は経営者は搾取するものと思っているのでした。私は経理上10万円を計上して居ましたが、手取りはゼロでした。貰う訳に行かなかったからです。


そうやって、一人去り二人去り、19年過ぎた今残ってくれたのはたった一人です。残った彼を私は、尊い宝と感じて居ます。



本題から外れました、そうやって嫌われまくった私でした、そしてそれは分かって居ました。そしてそのことが、勇気を持って歩んでいたら、嫌われることも多かった、そうなんだと実感して来たことなのです。


人には嫌われない方が良いです、誰よりも好かれたいと思います。でも、この道を進むんだと思った時は、トンネルを掘るブルドーザーのようなもので、岩だ土だと選ぶ暇は無いのです。


でもですねえ、ふと10年前に辞めた人が、ひょっこりと訪ねて来ることがあります、それも笑顔で、あの時はすみませんでしたと。私はその時思います、高い敷居をよく越えて訪ねていただいたと、そして彼に感謝を伝えます。


私達の心に残るのは、好き嫌いという表面的な感情ではなく、真実だけなのかも知れませんね。