水彩画 徒然なるままに

自然の光と影を求めて、水彩画を描き始めました、そして懐かしい思い出もと思いました。しかし、ただの自己満足です、興味のある方はどうぞ

音楽は 話し言葉

こんな言葉をいただいた、ブログのお仲間からです。


私は長い間、芸術とは、音楽とは、絵画とはと、何だか良く分かって居ませんでした。今は良く分かって居るのかと問われれば、全然だめなのですが。




この音楽という言葉を、人生はと置き換えても、同じなのかなあと思いました。


人生を、自分の人生をどうやって自分に伝えるのか、それは、自分と自分との会話に違い有りません。


その会話ですが、それを「話し言葉」で、伝えられるのか、それは否です、私の場合ですが。


自分の人生を、自分に話し言葉で伝えることの難しさって、自分の人生を共に知っている私と私、でも、その一方の私が、偽っていたらどうでしょうか。


誤魔化したり、嘘をついていたり、その一瞬一瞬をずっと見続けて来たのが、もう一人の私に違い有りません。


それは不協和音以外の何物でもないでしょう。



でも、音楽は、こんなに自分を入れ込まなくても良いんだとは思いました。


作曲した人の想い、それを演奏する人の人生、それが必ずしも重なるとは思えないし、作曲者の気持ちなぞ、分かるはずも有りません。


でも、プロの音楽家は多分、その作曲された「譜面」を見ると、わかるのだと思いました。何が?、作曲した人の気持ちがです。偽りのない気持ちが、それには表われているのだと思うのです。


音楽家は、それと対話するのだと思いました。自分と自分との対話に失敗した人でも、その譜面との対話に、本当の自分を見出すかも知れません。



絵はどうでしょうか、これには譜面が有りませんので、対話は難しいと思います。


分かりません、絵はどうなのかと聞かれると分からないのです。自分が良ければいいじゃん!!と、それ以外はないのかとも思います。


これは本当にその人の心の問題でしょう、ある絵の前に立ち、涙を流し続ける人もおります、たたずんでいたら日が落ちてしまったなんて人も知って居ます。


良い絵は、その人の心にダイレクトに突き刺さるのかも知れません。


そういう意味では絵も、話し言葉なのかと思いました。


そして実は、私達の人生は何もかも「話し言葉」なのですね、そうでなければ「ブログ」なんて何も意味を成さないと、思ったのです。


失礼しました。