水彩画 徒然なるままに

自然の光と影を求めて、水彩画を描き始めました、そして懐かしい思い出もと思いました。しかし、ただの自己満足です、興味のある方はどうぞ

内田樹(たつる)著「サル化した社会」

以下、内田樹(たつる)氏への記者のインタビューです。



「今さえよければそれでいい」という発想


――現代社会の趨勢を“サル化”というキーワードで斬った思いは何でしょうか?


内田 “サル化”というのは「今さえよければそれでいい」という発想をすることです。目の前の出来事について、どういう歴史的文脈で形成されたのか、このあとどう変化するのかを広いタイムスパンの中で観察・分析する習慣を持たない人たちのことを“サル”と呼んだのです。


 歴史学的なアプローチも探偵の推理術も同じです。目の前に断片的な情報が散乱している。そこから「何が起きたのか」をいくつかのパターンで考え出し、すべての断片をつなぐことのできるストーリーを選ぶというのが探偵の推理術です。


それが論理的思考ということです。でも、今の日本では、政治家も官僚もビジネスマンもメディアも、論理的にものを考える力そのものが急速に衰えた。広々とした歴史的スパンの中で「今」を見るという習慣がなくなった。時間意識が縮減したのです。それが「サル化した社会」です。



内田樹

1950年東京生まれ。思想家、武道家、神戸女学院大学名誉教授。東京大学文学部仏文科卒業。東京都立大学大学院人文科学研究科博士課程中退。専門はフランス現代思想、武道論、教育論など。『私家版・ユダヤ文化論』で小林秀雄賞、『日本辺境論』で新書大賞を受賞。他の著書に、『ためらいの倫理学』『レヴィナスと愛の現象学』『街場の天皇論』『そのうちなんとかなるだろう』、編著に『人口減少社会の未来学』などがある。



以上、記事は続きますが・・・・、


私は以前から、この内田樹(たつる)氏の考え方に共鳴して来ました。


例えば今の政治に対する感じ、嘘をつきまくっても平気という
面の厚さ、これらの生き方は、日本人全体にも影響がある訳で
す。


そのことを内田氏は「サル化」という言葉で現しました。以下は
その分かりやすい例です。


内田 「サル化」という言葉は「朝三暮四」の故事から採りました。サルたちにこれまで給餌していた8つの栃の実を7つに減らすことになったとき、「朝3、夕方4ではどうか」と言ったらサルは怒り出し、「じゃあ、朝4、夕方3は?」と言ったら狂喜した。


朝の自分と夕方の自分が同一であるということが仮想できなかったのです。ある程度長い時間を通じて自己同一性を保持できない人を笑ったのです。


結構笑いました。



長期スパンで、考えられないサル、朝3、夕方4では怒りだした
のです。いつも刹那の朝があり、夕方は考えられないということ
です。


国を憂い、未来の日本をどうして行こうか、どうすれば少しでも
国民に幸せが来るだろうかと、長期に考えられない政治が今行わ
れて居ます。


嘘が嘘を産み、その上に嘘を重ねても平気となる。そして、何処かで
気づいてももう、戻れないのです。


サル化してしまった政治と社会、ではどうすれば良いのか、
それに対する答えは、今のところ有りません。


朝だけしか考えられない「サル」を私達はもう、馬鹿には
出来ない、それだけは確かなようです。