水彩画 徒然なるままに

自然の光と影を求めて、水彩画を描き始めました、そして懐かしい思い出もと思いました。しかし、ただの自己満足です、興味のある方はどうぞ

上野はおいらの心の駅だ~

言わずと知れた、井沢八郎の「ああ、上野駅」の歌詞
の一部です、


といっても、知りませんよね。



この歌がいつまでも私の心に残るのには訳が有ります。


私は、この就職列車から降りてくる、中学を出たばかり
の彼を、迎えに行ったからです。


(昭和の当時、就職列車という概念が有りました、中学
を卒業した彼らを、東京の中小企業の親父達が、上野駅
に、迎えに行くのです)


私は、その前年の夏に、その街のクリーニング店のご子息
が、クリーニングの勉強を、東京でしたいとの希望を受け
たのです。


青森まで赴き、思いっきり青森なまりの言葉に面食らいな
がらも、彼は東京での就職を希望したのでした。



当日の上野駅には、それらしき企業の親父さん達が来て
居ました。


おお!!、こっちだこっちだと、次々とやってくる子供達
親父さん達の顔を観て安心した顔、顔、顔でした。


しかしいくら待っても彼が下りて来ません。


私は彼が乗って居るであろう客車まで行きました、そうしたら
彼が、重い重い大きなバッグを持ち上げられず、引きずりなが
ラ出口の方へ向かっていたところでした。


どうした、何だその荷物はと言いながら私は一緒に、その大きな
バッグをやっとの想いで下したのでした。


何だ、この重さは?


リンゴっす


リンゴ?


おかあが、持ってけって



それは多分、リンゴ箱(昔は木枠の箱)ごとバッグに入れたのでは
ないかと思うくらいの量でした。


涙ものでした、お母さんが、どれくらい息子のことを心配されて
いるのか、それがこのリンゴの重さでした。


ありがとうありがとう、よく持ってきてくれたなあって、


その時初めて、彼がはにかみ、笑顔が揺れたことを思い出します。



彼が、上野を心の駅だと思ったかは分かりません、でも
私は、そう思いました、そう思わせてくれた上野駅、そして
この時代に、今でも想いを馳せるのです、


この歌を聞くと・・・・・、