水彩画 徒然なるままに

自然の光と影を求めて、水彩画を描き始めました、そして懐かしい思い出もと思いました。しかし、ただの自己満足です、興味のある方はどうぞ

〇〇君は お~昼寝

私の通った小学校は、下町と山の手の中間に有りました。


当時は、山の手のお子様達も、この区立の小学校に通って居ました。


私達、下町のガキ共は、継ぎはぎだらけのズボンと、
ヨダレだらけのシャツに、穴の空いた靴下、おまけに
肘は、鼻水で固まって居ました。


山の手のお子様達の服装と言ったら、百貨店からそのまま
出て来たような服装で、登校は多くが車でした。


運転手さんが、後ろの扉を開けるまでお坊ちゃまは出て来ませんでした。


(ちょっと大げさですか、まあ良いでしょう)



★現在の田園調布駅周辺です。この奥の方が玉川田園調布です。



そんな、とても合いそうにない、山の手のお坊ちゃまと、下町の
ガキ共が、何の因果か気が有ったのか、ある日こう言われたので
す。


君たち、僕の家に遊びに来ないか?って


君たち?、僕の家?、なんて、使ったことも無い言葉に、
はあ、ハイ!!と、今度の日曜日に訪ねることになったのでした。


そこは、玉川田園調布という所、大きなお屋敷ばかりが並んでいる
一角でした。


私達は、悪がき三人、お屋敷を見ながら、もうどうしようもなく固まって
いたのです。



どうする、この家だろ、目の前にあるその家は、家と言うより、大きな
門だけしか見えない、城のようなたたずまいでした。


そして思わず三人は、自分たちの服装の貧困さを見つめ合ったのでした。


(これは、差というには違い過ぎている、どうしようもない違いだと)


この頃、友の家を訪ねる時私達は、ブザーなどは鳴らさずに、大きな
声で呼ぶのが習慣でした。


でもなあ、50メートルは先にある母屋に、届くかなあって。


でも、ひるまずに私達は、呼び始めました。


〇〇君~、〇〇君~、って、何度か叫んだ後に・・・・・、



カチャカチャと、大きな門の脇の小さな扉が開きました。


まあ、何という上品な、上品さって、悪がき共にも理解が出来る
風情なんですね。その夫人、多分彼のお母様の上品さに私達は、
ぼーっとして居ました。


そして、鈴を鳴らすような声が私達の耳を揺さぶりました。


ごめんなさい、〇〇は今、お昼寝なの


もう少し後においで下さいな、と。


お昼寝?!!、多分、私だけでなく、二人の悪がきも初めて聞く言葉だった
のです。


私達は、顔を見合わせながら、理解出来ないその言葉を、
さも分かったように、彼のお母様に訳の分からない笑顔を
向けたのでした。


お昼寝かあ、


何だ、お昼寝って


お前分かるか、昼間寝るのか、そういことかって。


下町の商人の家(一人は魚屋、一人は風呂屋でした)では、
全くそういう習慣は無かったのです、そんな暇も有りませ
んでした。



私達は帰り道、いつの間にかその言葉を、歌うように歌って居ました。


〇〇君は お~昼ね


〇〇君は お~昼ね


って。



玄関なんて無いような家のガキ共が、玄関だけで、家三軒分くらい
あるお屋敷に、私達はその後、その大きなお屋敷に招かれるように、
なったのでした。


彼は、そのホールのような玄関で小さくなっている私達に、こう告げたのでした。


君たち、上がりたまえ


って。


おしまい