水彩画 徒然なるままに

自然の光と影を求めて、水彩画を描き始めました、そして懐かしい思い出もと思いました。しかし、ただの自己満足です、興味のある方はどうぞ

子供らしさが死んだ時 その死骸を大人と呼ぶのだ

昨年10月に佐賀の旧友に逢いに行った(ブログ掲載)


良くない病に掛かり、大丈夫かとの見舞いがてらだった。


みんなが来てくれるならと彼から、二泊三日の計画書
が送られて来た、一日目の夕食はどこどこでと、極め
細やかだった、彼はずっとそういう人でした。


所が、伺う二三日前に連絡が来て、入院したという、
励ましの見舞いが、本当の見舞いになったのでした。


転移、彼に巣食った病は、全身に転移をしていた、
若いだけに、早いのだろう、私より丁度ひとまわり年下
なのです。



もう施しようが無いほどの中で、彼はパフォーマンス
をしていた。自分の入院の姿を、フェイスブックに、
載せていた。


寛治、今はこんな姿ですが、必ず復活します!!と


その姿は、これからガンマーナイフという放射線治療
に入る時の写真、頭を固定され、どうしようも無い
姿の写真でした。病は、脳も襲っていました。


それを見ながら私は、そうだったなあ、彼はいつも
オープンハートだったなと、何も隠さない、いわゆる
大人の素振りが無い男だったなと。


大人に成らなかった男か、彼は東京で働いていたが、
ある日、求められて生まれ故郷の佐賀に帰ったのです。


そこで彼は、航空少年団のリーダーをしたり、佐賀で有名
なバルーンの広報をしたりと、貢献仕事に入っていた
のでした。



いつまでも、小さな子供達と向かい合った彼の心は
いつまでも子供の心を保持していたのでしょう。


こんな言葉を思い出しました。


西洋の諺と・・・・、


子供らしさが死んだとき その死骸を大人と呼ぶのだ



死骸かあ、俺は死骸なんだなって、妙に納得した記憶
が有ります。


彼は、その死骸には成らなかった、いつまでも本当の
自分と一緒だったと。



先日、彼の息子さんから連絡が有ったのです。


父は、天国に旅立ちましたと、もう今年の正月には
駄目だろうと言われていたのですが、それを遥かに越え
て生き抜きました、と。



ありがとう寛ちゃん ありがとう!!


合掌