自由が丘の思い出
久しぶりに、とぼとぼと自由が丘を歩いた。
懐かしいのだが、殆どの店は変わっている、もう古い
自由が丘はそこには無かった。
ある店の前で、懐かしく思い出したこと、それは
大学イモ屋さんの思い出でした。
もうすでに違う店になっているのだが、店構えは
あまり変わらないでそこは存在していた。
元のその店は、冬は大学芋、夏はかき氷を売っていた。
いつも店にはお母さん(俺たちはそう呼んでいた)が
立っていて、中学校の帰りには寄っていたのです。
☆ネットからの写真です、こんな感じのお店だったかなあ
でも、中学を卒業し、みんな高校へ行き始めたら
自由が丘とは遠縁となった。
それからどれくらい過ぎたろう、自由が丘で中学校
のクラス会が行われたのだ。
あれから30年くらいか、みな45歳くらいになり
良い親父、お母さんになっていた。
ふと私達は、懐かしい通りを歩いていた、そう、
あの大学イモ屋さんのある通りをそぞろ歩きした。
ふと見ると、相変わらずお母さんが店に立っている
ではないか、あの頃と同じ割烹着で、同じような笑顔で。
まさか!!、俺たちは驚き、ここだけ時間が止まった
のかと、店に近づいたのでした。
あの~、何とお聞きしたら良いのか分からないのですが
と、私は躊躇した。
そうしたら、お母さんは直ぐに察したのでした。
私、娘なんですよ(笑顔)
一同、大いに納得でした、お母さんそっくりの娘さん
だったんだと。でも、本当によく似ている、しぐさも
同じようだと。
お母さんはもう店には出ていないのですよ、そして
もうすぐこの店も閉じることが決まって居ます、と。
娘さんは少し寂しそうに、話された、私達があの中学校
の生徒だったと知っての報告だったのだろう。
これで古き良き自由が丘は、全て無くなるのだな、と
街は新しくなり、そこを歩いている人達は、地元の
人達ではない。当時、最も住みたい街ランキング一位
となった街に、遠くから来ているのでした。
お母さんと娘さん、いや二人のお母さんはどうしている
だろうか、と
ふと、爽やかな風が吹きすぎていった。
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