水彩画 徒然なるままに

自然の光と影を求めて、水彩画を描き始めました、そして懐かしい思い出もと思いました。しかし、ただの自己満足です、興味のある方はどうぞ

たった一人残った 職人さんの笑顔


彼は私が大嫌いだった、多分今でもそれはそんなに変わって
は居ないだろう。


22年前、前の会社から移ってきた職人さん達、9人居ました、
その9人の人達の内8人は辞めました。


彼は、たった一人残ったのでした。



私は、彼と交流を試みました、多分正反対の反対の反対
くらいの不一致で、水と油のように混じり合うことは
有りませんでした。


ある日私は、彼の昼食を見るとはなしに観ていました。


それは食事かと思わせるほど、大胆なものでした。サラン
ラップに包まれたご飯、それはただ包まれていました。


一合くらいはあるでしょうか、それを頬張る彼、塩は
ふってあるのか、ただひたすら食べるのです。おかずは
有りません。


そして片方には、カップラーメン、それがおかずと言えば
おかずなのでしょう。


私は真剣に考えました、それは、彼の栄養を
何とかしなくてはいけないと。


彼は独身です、食べ物の管理はままなっていない
そう思ったのです。



それから私は、夕食の時、何か翌日持っていける
ものは出来ないかと、少し多めの夕食を作る
ようになりました。


揚げ物だったら、2~3品多く揚げる、それを翌日
密封容器に入れて持っていくのです。


最初は緊張です、彼の机にそっとその総菜を置きます。
食べてくれるのかくれないのか、返されてしまうのか
でもそれはそれだと、彼の選択を尊重しようと


結果を待ちました。そうすると、何と、翌日、
綺麗に洗われた密封容器が私のテーブルに
置かれていたのです。


私は緊張の糸がほぐれ、そして何故か涙が溢れて
きたのです、


食べてくれたんだ!!と


20年以上一緒に働いていて、挨拶もあまり出来ず
にきた彼と私、すれ違う時に、おう、とか、ああとか
言うだけの関係です。


でも次はどうだろうか、毎日では失礼ではないかとか
いつも余計なことを考える私ですが、


次の総菜を、三日後に置いたのです。


やはり、容器は洗われて返されて居ました。


やったー!!と、こんなことで喜ぶ社長も居ないと
思いますが、何という達成感と、我が病も忘れる
瞬間でした。


ある日、彼とすれ違ったのです、いつも下を向いた
ままの彼の顔が、私を見据えていました。


それはとっておきの笑顔だったのです。私はそれが
ありがとう!!という大きなメッセージに聞こえた
のでした。


こちらこそ食べてくれてありがとうって、オーラ
を贈り返したのでした。


たった一人残ってくれた職人さん、この会社に
残って良かったと、ほんの少しでも思ってくれたら
と願う私が居ました。