水彩画 徒然なるままに

自然の光と影を求めて、水彩画を描き始めました、そして懐かしい思い出もと思いました。しかし、ただの自己満足です、興味のある方はどうぞ

絵に助けられて来た人生 今更そう思う

絵を描き始めてどれくらい経つだろうか、


あのトモエ幼稚園での入園試験で運動場脇の客車の
絵を描いて、園長先生に誉められたこと


生涯他人に誉められたのはこれが最初で最後だった(笑)


それから68年が過ぎ、今も絵を描いている私は、
あの園長先生の言霊に導かれているのかも
知れない


何故、自分がトモエ幼稚園に入園したのか一度も
深く考えることは無かった、


でも、その後入学した小学校には、このトモエ
出身の同級生は居なかった、私の兄姉は4人、
トモエに行ったのは私だけだった。


そんなことに今頃気づいている私、そうなんだなあ
って、変わった子供達が集う幼稚園、それがトモエ
だったのだと


母はずっと苦労したのだと思う、私は多分多動児だった、
自分の教室に居たことは無かったからだ


でも、小学校高学年になってからは、自分でも
気付くくらい、おとなしい子供になっていた
誰も友達は居なかった


そんな時いつも友達だったのが、絵だったのだと
絵が上手いから描いていたのでは無かった、


あの言霊が、園長先生の言霊が、筆を動かすのだと
それは、今でも思う


この季節になると何度も掲載しています、田植えの風景、この季節が好きです。



会社が倒産し、新しい会社を運営し、そしてまた赤字
となり、それでも必死にしがみついて来た、そうなんだ
しがみついて来たんだと、ただそれだけだった。


余命宣言される病にも出会った、ありがとうと病に伝えた。


そんな二つの嵐の中でも私は、絵を描いていた、


そして嵐が過ぎ(病はそのままです)、空の青さが目に染みるような季節の
中でも同じように絵を描いている


絵は味わい、この頃そう強く感じるのです。


あの園長先生の言霊が響き続ける人生、生涯たった一度の
誉め言葉が響く人生


その言霊が響き続ける、私は絵を描き続けることで、
それに応えようとして来たのかも知れない、と


私は、絵に助けられて来たんだと、今更思うのです。