水彩画 徒然なるままに

自然の光と影を求めて、水彩画を描き始めました、そして懐かしい思い出もと思いました。しかし、ただの自己満足です、興味のある方はどうぞ

人生の重い袋 それが味わい 水彩画

あるブログのお仲間に、コメントを書いている内に、
表題のことを思ったのです。


人生を長く過ごしていると、見えはしないのですが、
自分の後ろに、重い袋が引きずられているように
感じることが有ります。


それは時には、背中に乗っかって来て歩けなくなる
くらいに、襲うことも有ります。


それは重い病で有ったり、友人との辛い別れで有ったり
子供の病だったり、会社の倒産だったりと忙しいのです。


(これ私のことです、失礼!!)


しかしそれらの出来事は直ぐにそれぞれの心に仕舞われて
、でもそれはきちんと畳まれて仕舞われることもなく、
生きたまま片隅に置かれ続けるのでしょう。



故河合先生、ユンク研究の心理学者ですがこんなことを
書かれて居ました。


題名は、己を殺して他人を殺す です。


その中で、若者の部屋掃除として(記憶です)、書かれて
居ました。


私達の心の中はまるで若者の部屋掃除のようです、若者に
来客が有った時、その部屋を臨時にでも掃除します、でも
やり方は乱雑で、部屋に有るものを全部押入れに詰めて
しまう、そんなものだと思います、と。


一見綺麗になったその部屋は、私達の一瞬の姿勢なのかも知れません。


しかししまい込んだゴミ達は、生きたままですから、時折
顔を出すのだと、それも自分が意識して居ない場面で
出て来るのだと


自分は己を殺しているのですが、時折出て来るゴミ達は、
自分が知らない内に他人を殺していると言うのです。


殺すとは他人の命ではなく心(当たり前ですよね)、他人の
心を殺さないまでも痛めることがある、無意識の内に、そういうことだと
思います。



私達の心の中は、誰もが若者の部屋掃除状態なんだと思いました。



それが多分、大きな袋となり、自分と一緒に歩んでいるんだと
思うのです。


でも、その袋の中には、若者の押入れの中には、懐かしい写真
や手紙や、クリスマスプレゼントもあることでしょう、そんな
ごちゃまぜの押入れの中は、生涯整理されることは無いですね。


誰もがそうやって生きて行く(失礼、そうでない人も居ますよね)


瀬戸内寂聴氏と村上勉氏の対談で、こんな言葉が有りました、
みんな途中で死んで行くんですね、途中で・・・・、と


☆以前のの絵です、実姉とかみさん、お参りの姿です、この九品仏の山門を、私もいつか命を預けて通る日が来るのでしょう、その日はあまり遠くないでしょうが!(^^)!



その大きな何が詰まっているか分からない袋を、それは私の宝物と
書かれたお仲間がおります、私の尊敬するブログです、ゆいばーちゃん
さんです(*^_^*)


そして私は思ったのです、人生の味わいのことを、それはその大きな
袋が不可欠なんだろうと、思ったのです!!


味わいの深いスープは一見何が入っているのかは分からない、
それはまるで深い河の淵のようです、青く澄んでいるのに
底は見えない淵のようです。


私は人生とは何なのかと問われると、このことを思うのです。


人生とは味わい、なんだと、味わいこそ人生だと、
そう無理やりにでも思うようにしているのか?、
それは分からないのですが。


この重い袋はもう結構!!と思う反面、どうせ離れられないのなら
一緒に歩もうかと思うこの頃です。


そういえば私の癌にも私は、命名までして、一緒に生きような(笑)って
話しかけているなと、これはもう変人です。


長文しつれいしました、ここまで読んで下さり感謝です!!