水彩画 徒然なるままに

自然の光と影を求めて、水彩画を描き始めました、そして懐かしい思い出もと思いました。しかし、ただの自己満足です、興味のある方はどうぞ

普通を学ぶこと 私の人生に突き付けられ続けた課題 水彩画

以下は多分、馬鹿のバケツのような内容です、ご興味のない方は
呆れる前にスルーをお願いします。



普通って何だ?って、素朴な疑問もあるかと思いますが、
それはちょっと横に置いておきます。


普通、それは私にとっては、遠くはかないような世界です。


よく、この歳まで、こんな人間性のまま生きて来られたなと
長い道のりを振り返るのです。


こんな変人の私が、表面的にも生きて来られたのは、大いに、
私自身も気づかない周りの人達の助けのお陰です、それは
確かと思います。


50歳までの私の人生は、多分、死んだような人生だったと、
サラリーマンしていて、ごく普通に見えたであろう私の
心は、多分、生きては居なかったと思います。


50歳の時、降って湧いたように、新しい会社の代表という
立場と成りました、こんなこと降って湧くはずがないのですが
私は、自分を変えたいがため?にそれに飛び込みました。


それは、普通を学ぶため、だったと思います。


☆トッコさんの画像から、絵を描きました、トッコさんありがとう!!、下に映って
いる花びら、それを見つめる花びら(自分)が居ます。



では何が普通でないと思っていたのか、それは今でも変わらない
部分、どんなことが起きようと変わらない部分、それが
普通ではないことなのです。


新しい会社を引き受けて、売上が半分になり、働いている人達の
給与を半分にしなくてはいけない場面でも、私は絵を描いて
いました。


それでもまだお前は気づかないのかと、神様は私に余命を宣言
される病(癌)を与えた、なんて、カッコ良い表現をしますが
余命宣告をされた時も私は、絵を描いて居ました。


会社は、周りの人達の必死の努力により、再生の道を歩み始めました、
それでも私は、それを眺めるばかりの人でした。


この姿を客観的に見ると、頑張っている社長の姿と思うのですが
中味は全然違います。


会社の再生と病、これはWパンチなのですが、それとは別の世界で
絵を描いている私です。



この乖離は何でしょう、この乖離を無くす為に、重い課題を
与えられたのだと感じますが、その乖離はそのままです。


発達障害・・・・、自分はそれでは無いのかと気づいたのは
このブログのお仲間のお陰です。


やりたくないことはやらない!!のです、そんな人間が、
会社の代表をしている、この現実は重すぎる程なのですが、
それはそれで一生懸命やっている私なのですが、
何処かで乖離していることは
変わらないのです。


そして絵を描く、



癌には太郎と命名して、話をしている私、変の極みです。
私が死ねば太郎も死ぬんだよって、一緒に生きて行こうよって
話しをする私は、理解不能でしょう。


でもなあって思います、変だと気づいたこと、これは一つの成果
ではないかと


そう思うと、あの頃の私に私は、懐かしささえ覚えるのです、
あの頃とは生きづらかった小学校、中学、高校の頃の私、


トンボを追いながら東横線の線路に入ってしまい、亡くなった
兄を羨ましく思った私の、あの頃に想いを馳せ、


そんな薄情な私にも、今の私はやさしくしていられるのです。


この、人生73年の成果は一つ、


自分を好きになれたことなんだと、焼夷弾の降る最中にも、
絵を描いていた人達がいたと、


戦場でピアノを弾いていた人が居たと、アコーディオンを
奏でている最中に弾が飛んできて亡くなった軍人も
いたと



普通を学ぶこと、そしてその普通との乖離が埋まらない私、
それに気付けたこと


人は変わらない、変われるのは表層だけと、変わらないこのマグマの
溜まりのような心の奥をも全部、愛そうとしている私が居ます。


失礼しました、ここまでお読み下さり感謝!!です。