水彩画 徒然なるままに

自然の光と影を求めて、水彩画を描き始めました、そして懐かしい思い出もと思いました。しかし、ただの自己満足です、興味のある方はどうぞ

私は、私の作品

ゆいばーちゃんさんのブログから(勝手に引用ご容赦!!)



「卵は作品」と、この文を読み、卵を育てている方の意気込みを感じたと
ゆいさんは書かれて居ます。


作品という言葉を聴き、そうなんだなあと感慨を覚えました。



いったい自分を創り上げるのは誰だろう?って、馬鹿な問い
、自分しかいないじゃんって


あの赤塚不二夫氏の御葬儀弔辞でタモリ氏が、私はあなたの作品の一つ
と明言しました。


ではタモリ氏を赤塚さんが創ったのか、そんなことはないですね、
その作品を創り上げて来たのはタモリ氏自身でしょう。



でもなあ、こういうことを思うのは、
もう残りの人生を指折り数えはじめた頃だからでしょう、私の場合ですが。



作品と言えば、この数年、水彩画を描いて来ました、実はこんなに
長い間、描き続けられてきたことに自分でも驚いています。


それは多分、ブログのお仲間の存在が原因と思っています、そのお仲間の
お陰で、私のへたっくそな絵は、へたっくそなりに、何とか
形と姿を見せ始めました。


病と会社のへたりを伝えようとして来たこのブログ、もう閉じようと
思って来たブログ、その性質が変わって来たのです。


これって、もろ水彩画ブログになっているよなって、自分で見ても
その様変わりに愕然といているのです。



私はかなり以前(55年くらい)、絵を描いていました、
それもほんの慰み程度です。


病になり、そういえば絵を描いていたよねって自分に語り掛けながら
ちょっと描いて見ようって、描くならブログでもと思っただけなのに


それが今、その絵達が独り歩きを始めています、作品が歩き始めた
、歩きはじめたらそれはもう、一つの生命なのかも知れません。


なんて



7年前に、余命二年を告げられた時、二つのことを思いました、一つは
会社のこと、このまま死ねば、会社の債務は家族を襲うこと、です。


もう一つは、私とは何だったのか、何だったのかもわからずに
命とお別れかと、思ったのです。


それから7年、生き長らえて7年の時は、会社を再生に向かわせ、
そして絵を描き続けることを教えたのです。


もしこのブログのお仲間が居なかったら私は、とうにエネルギー
を消耗していたことでしょう、感謝しか有りません!!



私は私の作品、本当に生意気な言い方ですが、今はそう思える
のです。


これは黄泉の国からのお迎えが近いのかなって、そうも思います(笑)


誰もが、その人の人生は誰かの作品ではなく、私の作品、そんな人生
で有りたいと思いました。


生意気な内容ばかり、失礼しました!!