水彩画 徒然なるままに

自然の光と影を求めて、水彩画を描き始めました、そして懐かしい思い出もと思いました。しかし、ただの自己満足です、興味のある方はどうぞ

それは再び、紫陽花が咲く頃のことでした。

人生とは詰まらぬことの積み上げ、最終です。


課長が始めた毎朝四時の掃除、それが止むことなく三か月過ぎた頃私は、
同じように四時起きの人となって居ました。


何故なのか、それは上司がやっているのに
それを無視は出来なかった、そんな所と思います。


☆以前に描いたものです、この学園の紫陽花では有りません(ー_ー)!!



この職場では月に何回か宿直の日があります、それは紫陽花の咲くころ
私が宿直していた夜のことです。


いつものように高校生男子が洗面器(今は有り得ない)を持って厨房の裏口に来ました、
コンビニも何もない時代、若い高校生達夜はお腹が空きます、それを埋める
為に、寮から洗面器持参でご飯を求めて来るのです。


(今なら衛生法上禁止と思います)


翌日朝の為に冷蔵庫に保管してある残りご飯を、そのいびつになった
洗面器に大盛りにしてあげます、その時の嬉しそうな顔は
忘れることはないです。


そして高校生はいさんで帰るのですが、その時はもじもじとしていて
帰りません、どうしたんだろうと私、


どうしたの?と聞きました。


あの~、僕達にも掃除を手伝わさせてくれますか?


エ!!、何?・・・・、私は驚き聞き返しました。


掃除・・・・です、手伝わせて欲しいんです、と


それは丁度、昨年の夏前、紫陽花の咲くころに始まったたった一人の
掃除から約一年が過ぎた頃でした、今年もキャンバスには紫陽花が
咲き乱れていました。


これが始まりだったのです・・・・。



私はこの提案を課長に報告しました、しかし課長は眉一つ動かさずに、
でも、それは難しいなあと、働いて貰うようなことはなあ、まして
高校生にはと・・・・、


結局どうなったか、それはサンデーサービスという形で実現しました、
高校生達が日曜日にホールの掃除をする、一つの運動のような形で


毎朝彼らは朝走っています、早朝五時頃にはキャンバスは高校生と
大学生と、沢山の生徒達のランニング姿で一杯になります。


その食堂大ホールはガラス張りで、外から中がよく見えるのです。
毎朝ぼーっと光る中で、一人の大人が掃除をしている、その姿が
一年も続いている、それがそれぞれの心に何かを映したのでしょう


そして高校生達は考えた・・・のでしょう、お前行って来い!!と
高校生代表が洗面器を持って訪ねて来たのだと



そのサンデーサービスは、その他の生徒達(大学生、中学生、職員達)
にも刺激を与え始めました。


ある朝、いつものように朝礼が終わりワッショイワッショイとホールに
入って来る高校生達に、渋滞が起きていました、どうしたんだろうと
私は確認に行きました


そうしたら驚きの光景がそこに現れていたのです、ワッショイワッショイ
と入って来る一人一人が、運動靴の泥を落としていたのです。


泥は取り切れはしませんが、それは限りなく少なくなって行きました。



課長がたった一人で始めた掃除、普通の会社ならどうして掃除をする人を
雇わないのか!!と、争議となることでしょう。


でも、そうはしなかった、課長の生き様、そこに大層なものは無かった
のだと私は今も思っています。ただ、折角作った食事を、少しでも
美味しくと、それだけだったと思うのです。



私は驚きの光景に感動していました、足元を拭くようになった学生達、
自分達でも掃除を始めた彼ら彼女等を観ながら思ったことそれは、
一人一人は表現者になれるんだということでした。


いつの間にかホールは黒く光る床となって居ました、それは不思議な不思議な
光景だったのです。


たった一人の掃除から、一年半、ホールは朝の光を一杯に浴びながら、
それはまるで一つの完成された、黒く光った床にキャンバスの紫陽花を映す舞台に、
変貌していたのです。


少しでも美味しく食べて欲しい、ただそれだけの願望だけだったのに


課長の前身は、大阪の推し寿司職人さんでした(これは後で知りました)、
食の芸術家だったんだと、今は懐かしく回想しています。


真実は無から有を産む、人の心とはそういうものだと、私の心に刻みつけられた
経験でした。


長文失礼しました!!、またここまでお読み下さりありがとうございました(^_-)