義弟は、幸せ者だったのかも知れません(*^_^*) 水彩画
照りつける熊野の太陽、そこに義弟の子供達(男の子4人と家族)と、
義弟の野球仲間が集まって居ました。
実は義弟は、その丈夫に見える体躯とは別に長い間持病にも悩まされて来ました、
ある時、畑で倒れてそのままドクターヘリで和歌山の病院に運ばれたことも
有りました。
その根本の病が、身体のバランスを崩してきたのかも知れません。
それでも彼は、作物を作り続けて一方では野球をやり続けた、町おこしの
リーダーでもありました。
もう良いよと癒されたその顔は、やすらかでした、65歳では早いとか
言葉が聞こえて来ましたが、彼の病の歴史を思うと、よくぞ生きて来た
と私は思いました。
辛かったろう、自分の身体にいったい何が起きたんだと迷い続ける彼自身、
それを克服し続けてきた人生だったと思います。
僕ね・・・・、たった一人の海辺、熊野の海辺はやさしかったです(=^・^=)
葬式には娘も同行しました、あれはもう40年以上前、娘がまだ赤子の時
彼は大学の野球仲間を連れて押しかけて来ました。目的は娘、田舎にすれ
ば初孫の娘は、可愛がられました。
野球仲間に次々と抱っこされる娘の姿を今も鮮明に覚えています。
用事もないのに彼らは訪ねてきました、そしてワイワイと焼肉に行き、
そして野球にこうじたエネルギー、その4年だけを考えても
幸せだったと思うのです。
でもその後襲われた病と共に生き始めた彼、良くぞ生きてくれた、良くぞ
生きぬいて来たと、私は空を見つめながらエールを送りました。
ありがとう!!、ありがとうって、
でもねえ、お義母さん・・・・、やはりちょっとお迎えは早かったよね(ー_ー)!!
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