水彩画 徒然なるままに

自然の光と影を求めて、水彩画を描き始めました、そして懐かしい思い出もと思いました。しかし、ただの自己満足です、興味のある方はどうぞ

ずぶ濡れのミャア猫に教えられたこと

野菜党

私共の会社の脇にある小さな茂み、落ち葉の布団の上に
一匹の猫が休んでいることは書きました、三日ほど
それは続き、いつの間にか居なくなった


昨日の雨の中、体中をびっしょり濡らしながらミャアミャアと
その茂みの周りを歩き続ける猫が居ました。


相方か、相方だよねと私は見守りました、もう居ないよ知ってるだろ
もう居ないんだよと声を掛けている内に自分の涙腺は崩壊して
来るのでした


この二匹の猫達、もう何年一緒にいたのでしょう、最初は野良猫同士
それに隣のおじいちゃまが飼っている軍鶏の餌を溢しながら歩いて
いる後ろを追い始めた


これが最初だったと思います、それから10年は経ったでしょう。
ずっと二匹は一緒でした、ずっと


もう居ないよ、もう居ないんだから、君の相方は虹の橋を渡ったんだから
とずぶ濡れの相方に語り掛け続けました、ふと彼が振り向きました、
ミャアと一言


それは初めて見せる悲しみの瞳、心をロスしたであろうその
姿に、


再び私は滂沱したのでした。


振り向きしばし私を見つめていた彼は再び、ミャアミャアと泣きながら
雨の中を去って行きました、まるで虹の橋は何処なのかと
捜しているように




人は心をロスした時、どうするのでしょうか、この猫のようにミャアミャア
と泣きまわるのでしょうか、分かりませんが


少なくともその心に空いた穴を必死で埋めようとは思わないでしょう、私は


悲しい時は悲しいままに、雨に打たれる猫のように悲しみを薄める
のが良い


いくら雨に打たれても、それが薄まることは無いのですが、ミャアミャアと泣く
その姿に止めどなく流れた私の涙は、


何処かでもしかしたら泣いているかも知れない誰かの波長と同調
したのかも知れません。


ありがとう、相方が居なくなっても頑張れ!!、生きろよ!!って、


悲しい時は泣け泣けと、その後姿は教えていた
まるでミャア猫は、私の人生の師匠のようでした

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