小学校時代の友人が 余命を告げられた 水彩画
余命一年、末期の肺癌だった
そして、彼は、ライン仲間に全てのライン会話を拒否した
今は、何も対応出来ないし、励ましや祈りの言葉も欲しくないと
あなたは大丈夫だよ!!と、9年前に彼は私にラインを送ってきた
その9年前に私は、余命二年を告げられていた、誰にも伝えては
居なかった、ほんの一部の友人を除いては
でも、彼からラインが入った、これは広がっていると、そう理解した
人には、もう良いでしょうという年齢は無いらしい、80歳だから
90歳だからと、もう良いんじゃない!!と口先まで出かかる
こともあろうが、それは無いのだろう
☆水紋(以前に描いたもの)・・・、人生とは水紋のようなのかも知れない、広がり交差して消えて行く
自分の未来が閉ざされたと思う時、人は何を思うのだろう
もうこの世とはおさらばしなくてはならない宣告を受けた時、
心はどうそれを受け入れるのか
そう受け入れる前に、多分、必ず思うことが有るかもしれない
それは、自分の人生のこと、過ごしてきた時のこと、
そして思うのだ、余りにも大切にして来なかったこの身体のことを
自分は大丈夫という過信、自分だけは癌にならないという、
無防備さ
そして一番はこれかも知れない
自分は誰かを真剣に愛したのだろうか、たった一人でも幸せの
列車に乗せられたのだろうかとか
そんな想い達が頭の中を巡り、それは、他人からの言葉(励ましや、同情)
を拒否するに十分な環境となりえる
これらは想像です、彼がこんな事達を思って居るかは分からないので
9人の小学校仲間のライングループ、いつかは一人一人、欠けていくのだろう
最初に欠けることは辛いかも知れない、でも、最後もなあって思う
ふと、こんな歌詞が湧きあがってきた・・・・、
乾いた空を見上げているのは誰だ~~
旅立ちの歌、そう思っていただが違った(ー_ー)!!
出発(たびだち)の唄、まあどちらでも良いのかも知れないが、
私達の死は、
この「出発」がふさわしいのかな
さあ今、銀河の向こうへ飛んで行け~~~~って
彼に、贈りたい、そう思った(゜_゜>)

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