水彩画 徒然なるままに

自然の光と影を求めて、水彩画を描き始めました、そして懐かしい思い出もと思いました。しかし、ただの自己満足です、興味のある方はどうぞ

死に方の選択

現代人は、表題のことを願って、死に際の苦しみや痛みを和らげたいと願い、今や科学はそれを実現しているようにも感じる。


でも、ふと思う、少し前はどうだったのかと、100年前はどうだったのかと・・・


戦場で刀で切られて、それでも戦いは続き、切られた足軽や武士たちは、そこに放っておかれる、直ぐに死ぬことはないだろう、死に際の苦しみはいかばかりか、生きている肉体がその生を終わるまで、苦しみぬくのは避けられないだろう。


病で死ぬのも、大変だったろう。一思いに殺してくれ!!と願う人々は多かったことだろう。



人は産まれる時は母を苦しめる、しかしそれは誕生の喜びでかき消されるものか、そして死ぬる時は自らが苦しむ、でも現代では、その物理的な痛みや苦しみは取り除かれて来たと思う。それが良い時代なのかは別にして。


所で、ヨーロッパでは、寝たきりで病院に入院し続ける患者は皆無と聞いた。これはどうしてだろうか。


それは、いわゆる延命治療をしないからだと聞いた。それを聞いた時に、何と清々しいことだろうと思ったのです。


私の兄は、自分の意思を示さなかった、そして義姉も、終末医療に任せっぱなしだった。私が見舞いに行った時には、胃に穴が開けられてそこから栄養が注がれる、イロウという処置も成されていた。


寝たきりで、回復の兆しはゼロ、床ずれが激しくそれが痛いのか顔を歪める兄、これを見ながら私は、せっかく肉体が衰えてあの世への旅立ちを始めているのに、何てことをして居るんだと思った。


それはまるで、飛び立とうとするバルーンが紐で繋がれて飛び立てない状況に似ていると思った。ヨーロッパでは、自ら食べ物を飲み込めなくなった時から、栄養補給や治療はストップされるんだと聞いた、そして枯れるように召されるらしい。


本人も苦しい、物凄く苦しい、周りも苦しい、出来るだけ命を長柄えるという「大義名分」だけが先行しているそれが日本医療、これは避けたいと思った。


死に方の選択、これは大きな問題だと思う。


失礼しました。