水彩画 徒然なるままに

自然の光と影を求めて、水彩画を描き始めました、そして懐かしい思い出もと思いました。しかし、ただの自己満足です、興味のある方はどうぞ

あの時の記憶

私は、幼い頃に、家の物干し台から落ちたと書きました。


3才か4才か、その年齢の記憶はないのですが、落ちた!!という記憶は鮮明なのです。


物干し台は、3階に有りました、高さは約10メートルくらいだったか、その家(クリーニング店舗兼自宅)はもう有りませんので、何とも言えません。


☆これは借りて来た写真です、昭和の時代、こんな物干し台があちこちに有りました。こんな感じに近いと思います、でも木造でしたね、家の物干し台は。



その鮮明な記憶とは・・・、


手すりに身体を預けて、下で釜を焚いて居る職人さんと何か「言い合い」をしていた時、つい興奮したのか、身体を更に手すりに乗せた途端、あ!!っと思う間もなく私の身体は空中に舞いました。


そして二階の屋根に、背中から第一バウンド、跳ね上がる記憶が残って居ます。


そして次に、一階の突き出た屋根に、また背中から第二バウンド、この後からは良く覚えて居ません、そして最後に、釜を焚いて居る材木だらけの地面に落ちたのです。


落ちた所は、これは後で知ったのですが、材木だらけの間の僅かな空間だったとのことでした。これも奇跡だったのか、その沢山の材木は釘が出ていたりで、そこに落ちたら一たまりも無かったのかも知れません。


助かった私、最後に落ちた地面の記憶は有りません、でもその時の声の記憶はあるのです。


大きな声で私を呼ぶ職人さんの声、それは「やすぼん!!、大丈夫か、やすぼん!!」と私を呼ぶ声でした。


そして「奥さ~ん、奥さ~ん、やすぼんが落ちた、落ちたんだ!!」と、こんな言葉を聞いていた(正確ではないです)、母を呼ぶ声の記憶が有ります。


その後、多分母が私を抱きかかえた、私は母の、金切り声のような叫びを聞いて居ました。母は私を抱きかかえ、叫びながら、走っていたんだと思います。

☆先日の絵、娘を抱く妻の笑顔は、何よりも優しいと思いました。



そのまま近くの木島?接骨院に私を抱えて飛び込んだのでした、これは後から聞いたことです。


この辺りはおぼろげです、でも、母に抱えられていたことは今も、身体が記憶して居ます。


そしてそれが嬉しかった、母に抱かれていることが何よりも私は


嬉しかったのでした。


続く・・・・・、