水彩画 徒然なるままに

自然の光と影を求めて、水彩画を描き始めました、そして懐かしい思い出もと思いました。しかし、ただの自己満足です、興味のある方はどうぞ

あの時の記憶 2

母に抱かれて私は嬉しかったと、書きました。それは幼子であれば当たり前と思いますが、あの頃、戦後の復興の頃は、本当に誰もが忙しかったのです。


貧乏解消!!、それが掛け声で、両親は必死で働き続けて居ました。


母は私をトモエ学園に入園させて、その面接だけは一緒でした。しかし母は(父も)、その後トモエに姿を現すことは有りませんでした(私の記憶違いかも知れませんが)。



雨の日、トモエには、園児を迎えにくる親たちで溢れました。私はその時いつもその溢れた中に母の姿を捜して居ました。でも、そこに居るのは母ではなくいつも祖母でした。



私は祖母が嫌いでした、いや、祖母が嫌いなのではなく、祖母がいるから母が来ないんだと思い、嫌いだと思ってしまったんだと思い返して居ます。


私は、母恋し、だったんです。



その想いが、大変なことをしでかすことと成りました。でもそれは今から思うとそうだったのではないかと、想像するだけなのですが。


私はある日の午後、トモエから帰り、炬燵に入っていた祖母を、ほうきで叩いたのです。おばあちゃんがいるから、母が迎えに来ないんだと、我儘の限りを祖母にぶつけてしまったのでした。


祖母は何の抵抗もしませんでした、4歳児が暴れていても、何でも無かったのかも知れませんが、この時の記憶もやや鮮明です。


おばあちゃん、ごめんなんさい。



母に抱かれて嬉しかった私、それからも何かにつけて母の愛を欲しがった私でした。


何だかなあと思います。